山中温泉:2024/12/19〜12/21
ボクは温泉旅行というのはかつては行った事がありませんでした。それがここ数年時々行くようになりました。
2024年は11月の白浜・有馬温泉に引き続き、12月は石川県の山中温泉に行ってきました。

山中温泉とは加賀温泉郷の一角で、開湯1300年だそうです。
松尾芭蕉も山中温泉について句があるというので調べてみました。
「山中や 菊は手折らず 湯の匂い」、とありました。

そんな訳で手頃な山中温泉の2拍3日のツアーがあったのでこれに参加、大いに楽しむ事ができました。

出発です
11:48の”しらさぎ7号”で名古屋から駿河、駿河で新幹線に乗り換えて加賀温泉駅まで約2時間半です。

名古屋から乗車すると、すぐに弁当が配られます。あまりに上品で、ボクでさえ量が足りませんでした。

車窓からは風景を眺めながらボンヤリ過ごします。

加賀温泉駅に着くと待っていたバスに乗り込み、40分ほどで山中温泉に着きます。到着は15:30と早めで、この日は移動だけで観光はありません。

旅館到着
温泉街をバスは抜けていきましたが、人通りが殆どありません。客はいても、冬なので外を出歩かないだけなのか、それとも客自体が少ないのか、よくわかりません。

旅館は”かがり吉祥亭”、旅行会社のパンフレットによりますと”弊社基準最上級Sランク”となっています。部屋は和室で広々としています。

いろんなクーポン券とか乗り物券を一杯くれましたが、全部外で使えるものばかり。アイスクリームとかお菓子の引換券とか、タクシーの割引券までありました。

部屋からの眺め
山中温泉は標高100m〜200mくらいで、この旅館は高い方だと思います。
小雨というか、ガスで視界は悪いのですが、秋の紅葉シーズは素晴らしい景観である事が容易に想像できます。

下を大聖寺川が流れています。
この旅館の付近は橋が幾つもあって、名所が多いと旅館のパンフレットには書いてありましたが、天気も悪かったので、外に出ることはありませんでした。
”かがり吉祥亭”は48室の、山中温泉の中ではまずまずのクラスという事でした。

1日目の夕食(1)
温泉に入って18:30から食事です。場所は1Fのなかなかいいレストランで、1席当たりのスペースが広く、隣の席とも離れているので、ゆったりと食事ができます。

飲みものもビール、日本酒その他25種類が飲み放題で、仲居さんに言えば持ってきてくれます。
時間制限は90分なので、まあ何とか’可”ですね。

こういうツアーは温泉、観光はともかく、毎日提供される食事が大きな比重で、旅行会社も気の利いた手の込んだ料理を出してくれます。

1日目の夕食(2)
この日のキャッチフレーズは”姿ノドグロ焼き・能登ブタ・ズワイ蟹の会席”となっています。

ノドグロは焼きでしたがボクは刺身、または煮付けが大好きです。この魚はボクが普段行くスーパーでは見掛けません。やはり日本海の魚で、最高の味です。

蟹・エビはこれに執着する人が非常に多いのですが、ボクはあまり興味はありません。なので、ズワイ蟹は半分頂いて、あとはカミサンにプレゼントです。カミサン、蟹と格闘中は無口でです。

加賀太鼓ショー
石川県と言えば”加賀の陣太鼓”が有名ですが、旅館で披露されたのは”加賀太鼓”の演打で、江戸時代に”虫送り太鼓”で始まり、その後明治期に雅楽の影響を受けて、今の形になった、と説明にありました。

演者は保存会の人達なのか、観光施設と契約したプロなのかわかりませんが、なかなかリズミカルで、目の前で叩いてもらうと、大いに迫力を感じました。

ショーのあと宿泊客にも打ち方を教えたり、写真を撮らせたり、ショーとしてもよかったと思います。。

2日目の朝
朝食の後08:30に集合、バスのに乗って兼六園に向かいます。左右には田んぼと畑が続きます。石川県南部はまさに米どころ、”加賀米”としてブランド化されています。
コシヒカリ、にこまる、いのちの壱、など有名です。

ここが前田利家、加賀百万石の国か〜。
利家は織田信長、柴田勝頼、豊臣秀吉と仕官したが、関ヶ原の戦い寸前になくなり、関ヶ原の戦いでは息子の利長が西軍から東軍寄りになり、加賀藩は存続した、、、。

ボクはあちこちに行った時、そこの土地の風景を眺めながら、こういう事を考えるのが好きです。

兼六園(1)
着きました。手前が兼六園、橋の向こうが城跡です。
橋の下は現在は道路ですが、ここは城の外堀跡で、つまり兼六園は藩主の”居住空間(城)”に隣接する、”外庭”であったわけです。
橋は石川橋といい、城の方は石川門と言うそうです。

ここは1年前にクルーズ船のMSCベリッシマで金沢に入港したときに訪れたのですが、その時は生憎の雨で兼六園も城も見学を諦めて船に戻ったという次第でした。

園内の案内は専任の方が付き添い、やってくれました。

兼六園(2)
兼六園は1600年代半ばに前田綱紀が、金沢城に面する傾斜地に別荘を建て、その周辺を庭園にしたことに始まったとあります。

その後、歴代藩主によって再建・拡張され、1800年代初めに12代藩主の前田斉広によって、ほぼ現在の姿が完成したそうです。

園内を歩きながら景色の変化を楽しむ”回遊式庭園”であることが大きな特徴です。12月という時期にもかかわらず。常緑樹が多く緑が思ったより映えています。

兼六園(3)
これは11km先の辰巳用水の水源からの水を兼六園の池などに供給する水門で、開閉式になっています。

辰巳用水は全長約11km、平均勾配は10mにつき約4cmという極めて緩やかな傾斜で、この微細な高低差を正確に測量し、水が途切れず流れるように設計されています。

そして現在も送水管などは近代的なものを使っているものの、今も辰巳用水そのものは使われており、用水は兼六園だけでなく、金沢城周辺の惣構跡(外堀跡)や市内の排水路にも水を届けているそうです。

兼六園(4)
ボクは辰巳用水の件を聞いたときは、俄には信じられませんでした。
ボクは建築・土木の専門家ではありませんが、これは用水路の建設技術はともかく、測量技術が要になるのは間違いありません。
どうやって実際に取水点を決めたのか、10mに4cmという勾配をつけた建築を行ったのか、疑問は尽きません。

兼六園の木々が四季を通じて豊かな緑を保てるのは、辰巳用水による給水と、池の貯水(バッファ)があるからこそ、というのを知ったのは今回の成果でした。

兼六園(5)
兼六園は行くとよくわかるのですが、市街地より随分高い位置にあります。調べたところ現在の市役所などより、20m程高いのです。
そのような高所に、あれだけ大きな池を作り水を貯めておくというのは、300年前にどうやったのか、これで全ての謎が解けました。

兼六園には一切の動力を使わない、池との水位差3.5mを使った噴水もあります。兼六園の景観は実に素晴らしい、これは見ればわかります。しかし本当の素晴らしさは、そのカラクリにあると思います。

兼六園(6)
兼六園という名前の由来は何か、これは旅行が終わってから調べました。

これは1822年に元老中である、松平定信が中国宋の時代の詩人・李格が書いた”洛陽名園記”にある、優れた庭園が備えるべき6つの景観を兼ね備えている、という事で命名したとあります。

ボクは今回初めて兼六園に入ったわけですが、いろんな事を知った素晴らしい機会でもありました。
尚、美しさは写真では5%もわかりません。

ブリずくしのランチ
兼六園の見学を終え、再びバスに乗り、氷見まで。氷見の”磯波風”というブリしゃぶ発祥の旅館で食事です。

ここではブリしゃぶをはじめ、ブリ刺ブリ塩焼きなど寒ブリづくしのランチ。
これに天ぷら、酢の物、その他これでもか!というくらいにテーブル一杯の料理が出ました。

皆さんは、これらをガサガサとかき込んで、お茶を飲んでいつものようにあっという間に食べ終わります。ぼくもお銚子は一本で抑えざるを得ませんでした。

 久谷満月(1)
ランチのあと加賀市にある、九谷焼専門店の”久谷満月”まで直行。先ず、ビデオを見せられて”九谷焼”とはなんぞや?についてしっかりレクチャーを受けました。

ついでかなり立派なギャラリー”五彩”に案内され、人間国宝の方の作品などを鑑賞。全ての作品には値札が付いており、大体200万円〜400万円というとてつもない値段。一輪挿しの花瓶も65万円という値段です。

九谷焼は5色(赤・緑・黄・紫・紺青)を基調に絵画のような絵付けで煌びやかな感じがします。

久谷満月(2)
ギャラリーを見学のあとは、お決まりの販売コーナーへ。
小皿、湯飲み、箸置きなど、「せっかく来たのだから、ま、記念に買っておくか〜」、という気にさせます。

ギャラリーで、「九谷焼ってこんなに高いんだぞ!」という声なき声を吹き込まれているので、3千円とか5千円という値札を見ると、「こんな値段で買えるんだ!」となります。
心理を利用した巧みな商売です。(違うか〜)

ボク秘蔵(?)の九谷焼”赤絵金彩”の徳利を2本持っており、ここでは見るだけでした。

久谷満月(3)
ここでは絵付けの体験もあるようで、スタッフの指導で絵を描いきます。それを焼成して2〜3週間後には自宅に送ってくれるといシステムです。

我々は時間が限られているのでやれませんでしたが、時間があれがやりたかったですね。

九谷焼はとにかく色彩が豊富で花鳥風月などのモチーフが多く、絵画的な要素もあります。
ただ九谷焼と言ってもさまざまな様式があり、ボクは”赤絵と金彩”の九谷焼が好きです。

2日目の夕食
九谷満月から再び山中温泉の旅館に16:30頃に到着、温泉に入って、その後夕食。

この日の夕食はとにかく、これでもか!というくらいに品数も多く、量も多かった!

前菜・先付けから始まって、お造り、タラ・ふぐの天ぷら、鍋、そしてふぐ白子、これで終わりかと思ったら黒毛和牛のステーキが出てきました。

ボクは90分間、目一杯食べて飲んだ次第でした。

東尋坊(1)
旅館を08:30に出発、1時間ちょっとで東尋坊に到着。今にも雨が降り出しそうな天気ですが、なかなかの景観で、ボクは初めてのところです
ここは自殺の名所(?)だそうで、「考え直せ!」みたいなメッセージと電話があるそうです。

東尋坊のボクのイメージは、テレビの2時間サスペンスの舞台です。
追い詰められた真犯人がここで片平なぎさとか名取裕子、船越英二とか渡瀬恒彦に告白をする、、、しばらくするとナゼかパトカーと刑事がやってくる、、、、。

東尋坊(2)
ボクはずっと前は松本清張の小説を随分読んだもので、清張のいくつかの小説の舞台は、日本海側の荒涼とした風景と重なります。

でもボクの記憶の範疇では、東尋坊は小説の中で登場させていなかった、、、と思います。

ま、それはともかく12月の東尋坊は寒かったです。しばらくすると雨も降ってきました。
イヤ〜、かえってこういう日の東尋坊の方が、ボクのイメージにぴったりじゃないか、そんな気がしたのであります。

東尋坊(3)
雨が来たので飛び込んだ土産物屋、慌ててオッサンが蟹を並べ出しました。
ボクは相場がわからないので何とも言えませんが、エラく高い感じがしました。

他の店もいろいろ並べていますが、どこでも売っているいわゆる”標準品”のお土産。
この辺しかないものなのか、他よりも値段が安いのか、新鮮なのか、などと考えるのですが、多分同じでしょう。
ちなみに外国では、蟹などは買ったら、それを料理をしてもらってそこで食べる、というのが普通です。

東尋坊(4)
標準品の土産とは、集中して工場で大量生産し、包装などを変えてそれぞれの場所で売る”お土産”です。

関東では埼玉県にそういう工場があって、その中の幾つかはボクが埼玉に住んでいた時の近くにありました。

結構大きな工場で、製造不良品をうんと安く売っており、ボクは2〜3回買いに行ったことがあります。
売っていた不良品とは、形などの不良品でした。

ボクの知らない銘柄の日本酒も、たくさんありました。

白山連峰か
東尋坊から福井県坂井市にある”久保田酒造”に向かう途中の左側に見えたきれいな山、これは白山連峰、標高2700mだと思います。

手前の刈り取りの終わった田んぼと、遠くに見える疎らな集落、素晴らしいアングルだったのでバスの中からシャッターを押した次第です。

ボクは今まで70年以上北陸には殆ど縁のない生活でした。ここは、ボクらの住む工場だらけの市とは全然違う、心が温まる雰囲気です。

久保田酒造:福井県坂井市(1)
東尋坊からバスで30分、久保田酒造にやってきました。
ここは宝暦3(1753)年から酒造りをやっている、超老舗の造り酒屋です。

試飲があるというので、爺さん達は早足になりますが、婆さん達は特にそういう雰囲気はありません。
茶色の杉玉をくぐると社長がお出迎え、みんなは社長の後をついて酒造りの工程の説明を聞きます。

ボクはアメリカにいた頃、ドブロクを自宅で作っており、酒造りの経験が少しだけある、と言える?違うか〜。

久保田酒造:福井県坂井市(2)
清酒(日本酒)とドブロクの作り方は基本的には同じですが、発酵の度合いが違う、つまり簡単に言うとアルコール度が大きく違います。

もっと簡単に言うと、清酒造りの細かい工程をかっ飛ばして作ったのがドブロク。
出来上がった醪(もろみ)のままがドブロク、絞ったものが清酒くらいに思えばいいと思います。

社長が言うには酒造りはまず米と水と言っており、この2つが能登半島は恵まれている、という事ですね。

久保田酒造:福井県坂井市(3)
蔵には7.1KLの発酵中の醪(もろみ)を入れるタンクが数えると30本、合計210KLです。

これは醪の発酵に使われるタンクで、酒母に蒸米、麹、水を加える3段仕込みで、1日2回の櫂入れ(引っかき回し)をやるそうです。
発酵期間は20〜30日という社長さんの説明でした。

計算すると一升瓶11万6千本、1本3千円として3億5千万円、、、こういう計算を瞬時にやってしまうのは、ボクの職業病なんですね。

久保田酒造:福井県坂井市(4)
これもボクの職業病のひとつですが、こういう物作りの工場を見ると、その工場の現場が非常に気になります。
どんな製品を作る工場も、良い物(高品質)を廉価にタイムリーに出荷するには、ある共通の基本的な事がなされて(守られて)なくてはなりません。

ボクは現役時代に大小の工場を何百も見て、得た結論のようなものがあります。
そういう目でこの会社(工場)をちらと見せて頂きました。
社長さんに聞くと従業員は6名、6名でも100名でも1000人でも基本は同じなんです。

久保田酒造:福井県坂井市(5)
最後(本当は最後ではありません)に試飲があります。
ボクは今まで幾つかの造り酒屋で試飲をした事がありますが、ここの試飲は”無制限”なのです。

ずらっと瓶が並べられており、それをカップで飲み比べしていきます。
皆さんの会話を聞いていると「あんた、普段飲まないのに大丈夫?」、とか奥さんに言われている人もいたりします。

ボクも何杯か試飲させて頂きましたが、やっぱり酒は吟醸を除き、燗をしないとわかりませんね。

大塚国際美術館(5)
最後に、最も大事(?)な、現物販売があります。
試飲で皆さんは、「あれが旨かったな〜」、とかいうモードになっており、そこで販売コーナーに連れてこられると、自然にポケットから財布を取り出している、、、こういう仕掛けなんですね。

1升が1万4千円近くのものから、2千円くらいまでいろいろあります。
1本(700ml:約4合)が5千円とか9千円のワインなどから比べると、日本酒は安いと思います。
日本酒は魚にぴったり、ボクは大好きです。

料理旅館、平成(1)
越前町高田の海の近くの、料理旅館にやってきました。久保田酒造から30分ほどです。

ここは越前蟹料理で有名という事で、旅行案内にも大きく書いてあります。中に入るとご指名を待つ、大量の蟹がうごめいております。
仲居さんの話によると真冬にはここに200杯以上の蟹がひしめくそうです。

ここは”蟹3杯分食べ比べコース”というのがあって、旅館近くからの景色の良さもあり、結構有名だそうです。

料理旅館、平成(2)
”蟹3杯分食べ比べコース”というのは”越前蟹、ズワイ蟹、セイコ蟹”を様々な料理方法で提供されるコースで、蟹が好きな人にとっては絶好のものと言えます。

要するに蟹を”焼いたり、茹でたり、刺身にしたり、味噌甲羅焼きにしたり、雑炊にしたり”、とこういう事ですね。

本格的に食べようとすると1人前2〜3万円はするようで、ツアーでは出されたのはその”簡易バージョン”、といったところでしょうか。
それでも、ボクでもそれなりに楽しめました。

ひかる君へ、越前大河ドラマ館(1)
久保田酒造の試飲、蟹旅館の料理で一杯、この日は朝っぱらからハッピーな日です。
料理旅館前で待っていたバスに乗り込み、着いたところが、”光る君へ 越前 大河ドラマ館”というところ。

これは期間限定の2024年12月30日までの展示、つまり閉館9日前に飛び込んだ、という次第でした。

ボクはもう何十年もNHKの大河ドラマは見ていませんので、今年は紫式部を主人公にやっていたというのは風の便りに知っていた程度でした。

ひかる君へ、越前大河ドラマ館(2)
建物は武生中央公園内にある、”まさかりどんの館”とかいう多目的施設で、様々なイベントなどを行うところだそうです。

紫式部は父・藤原為時が、越前守に任命された996年頃に同行して、約1年半ほど越前国(現在の福井県越前市)に滞在した、という事でこの展示になったようです。

つまりパパの転勤(実は左遷)に同行してきた娘、同時に恋人の藤原道長も追いかけて行ったとかの作り話も入ったりで、ボクはさっぱりわからんのであります。

ひかる君へ、越前大河ドラマ館(2)
しかしこの展示を企画した人には申し訳ないですが、ここまで手抜きのテーマ展示もボクは初めてです。
パネル展示が主なもので、しかもNHKのドラマに出た俳優の写真がデカデカと。

ボクがNHKの大河ドラマを見なくなったのは、あまりにも作り話を加えすぎていること、史実に全く反している内容になってからです。

NHKの大河ドラマは、その時代の人の名前を使った、”ただのホームドラマ”、というのは言い過ぎですか!?

ひかる君へ、越前大河ドラマ館(2)
パパに同行して越前に行った娘の紫式部は、1年半のここでの生活について、記録は一切残していません。

つまり紫式部は大した印象も何もなかった、という事だと思うのですが、紫式部は何をしていたのかわからない、という事実があります。
そこで脚色家は、好きな(売れる)ストーリーを大胆に書き込んで視聴率UPに貢献した、、、とかの見方は意地悪過ぎですかね〜。
土産物屋には紫式部饅頭、紫式部煎餅、紫式部蕎麦、その他いろいろ売られていました。

帰りの列車です
駿河駅を18:08発の”特急しらさぎ14号”に乗って名古屋まで。今回の旅も全員60代、70代の夫婦ばかり、80代の人はいなかったように思います。

添乗員さんも、まあまあ及第点でした。
ボクは今まであちこちの旅に行って、何だよお前!という添乗員は2回、この野郎!という現地ガイドは1回あります。
全部海外です。

皆さん夕食が遅くなるので、車内で弁当を食べてる方が多かったです。

今回の2泊3日の旅、割と充実していました。

旅館良し、食べ物良し、酒良し、残念だったのは天気が悪かった事くらいでした。こういう国内旅行は食べ物の比重が大きいのですが蟹はともかく、ボクの口に合ったものばかりでした。

しかし皆さん、せっかく出してくれる素晴らしい料理を、何であんなにあっという間に平らげてしまうのか、ボクは不思議でなりません。
もっとゆっくりと、楽しんで食べてもいいと思うのですがね〜、、、。