エジプト旅行(1):2025/12/9〜12/18
何年か前のことです。
現役時代にヨーロッパに10年間駐在していたYさんが言いました。
「私はヨーロッパは東はロシアから西はポルトガル、北はスカンジナビア諸国から南はトルコ・ギリシャまで殆ど行きましたが、唯一の心残りはエジプトに行ってないことです」。

ボクはエジプトという国はそれほど興味があった訳ではなく、旅行先の候補に挙がっていませんでしたが、この話を聞いてからちょっと気になる国になっていました。

1年以上前のあるグループの会合、メンバーのSさんが「今度エジプト旅行に行きます」という話をされ、それがYさんの話と重なり、ボクの中でエジプト旅行が少しづつ具体的な旅行先候補になってきたのでした。

そんな中で、今年の6月頃に旅行会社から送られてきた案内に「はじめてのエジプト大縦断10日間」というのがあり、これにYさんとSさんの影響が重なって、とうとうボクもエジプト旅行に行く事になったのでした。

セントレアから成田まで
ツアーは成田空港に19:00集合なので、成田空港までセントレア空港から飛行機で行きます。
セントレアで昼食を摂る時は、蕎麦を食べるのがボクらの定番になっています。

空港はそこそこ混んでおり、外国人が目立ちます。
ラウンジはビジネスマン風の人がほとんどで、ボクらのような”物見遊山風”旅行者は見かけません。

定刻離陸、遠州灘上空から富士山が見えるかも、と期待していましたが、雲が多くダメでした。

成田空港着
この日の成田空港18:00頃の外気温度は8℃、平年並です。
ところが空港内の暖房が弱く、やけに寒い。理由を調べると日本の空港は”省エネ・脱炭素”とかの大義名分で、冷暖房を大きく押えているのです。

これは真冬・真夏に”日本⇔海外”を往き来するとよくわかります。
ボクにはこの大義名分を空港は経費削減に利用、快適性の犠牲を利用者に押しつけている、としか思えないのですが。

成田からドーハまで
フライトはQR807、成田T/Oは21:55、ドーハまでは約13時間のフライトです。
ボクはカタール航空は初めてのエアーラインでしたが、噂通りのサービス、快適さで満足でした。

食事はアラカルトで、何でもいつでも頼めます。
ここはひとつアラビア料理を、とCAにいろいろ聞いて注文、最後に「この注文で量は多くないよね」、と念を押したのですが、ドカーンと出てきました。

味は今回最初の中東異文化体験という事で、大いに興味深く頂きました。

ハマド空港
カタール・ドーハのハマド空港に到着。巨大空港(29ku)で近代的、成田(16ku)など比較になりません。

ボクは中東エリアでは、UAEのドバイ国際空港を利用したことは何度かあり、近代的・超豪華で、それに負けず劣らずでした。

暖房節約で寒々した成田空港はもはや途上国の空港、あるいは唯のローカル空港、という感じがします。

空港はその国の玄関であり、顔だと思うのですが、、、。

カタール航空のラウンジ
カタール航空のビジネス・ラウンジに入ってみました。広々としてメチャきれい!係のウエイターもたくさんおり、目が合うと直ぐ来てくれます。

成田のラウンジで軽く食事、その後成田から13時間のフライトで2回の食事。という事で、ここではフルーツとチーズ、それにワインだけを頂きました。

ここからカイロまでの3時間のフライトでまた食事が出るので、ずっと食べっぱなし。お腹の管理をきちんとしないとエラいことになります。

ドーハからカイロへ
3時間のフライト、機材は一昔前のものですが、快適さは代わりません。

Cクラスの席は70%くらい、埋まっています。
食事はここでもアラカルトで2品、がんばって白ワインで流し込みました。

離陸して見えるのはアラビア半島(サウジアラビア)で砂漠ばかり、着陸前に紅海を越えるとシナイ半島が見えます。
日本でも報道されない日はない、ガザ地区の南200kmを飛行です。

カイロ着です
現地時間11:00頃に到着、つまり日本時間の18:00です。私たちの場合、自宅を出てから32時間です。

この間に大小の食事6回、長時間の国際線フライトのコツは、食べ過ぎないこと、これに尽きます。
あとはよく眠ること、でしょうかね。

ツアーでは空港案内の現地係員のオジさんを雇ってあり、この人が荷物などをピックアップしてくれます。
その後今日から8日間ガイドをしてくれる、ナグラーさんが紹介されました。

空港からギザへ
空港で待っていたバスにスーツケースなどを積み込み、そのままギザまで。35kmくらいで約40分。

ギザまではカイロの市内ではなく、郊外を走ります。
初めて見る町の様子、目に入るのは“インフォーマル住宅”と呼ばれる行政が関与しない、住宅街。

スラムという訳ではなく、”都市計画外”の家々で、庶民・中間層の生活圏で、カイロ人口の40%〜60%が住んでいるとのこと。よく見ると廃屋のような家から、割ときちんとしている家まで様々です。

ギザのピラミッド(1)
エジプトと言えばピラミッド、その最も代表的なピラミッドがあるのがギザ。ギザはカイロとは別の行政区(ギザ県の県都)とのこと。

バスを降りて、ナグラーさんがチケットを購入、入り口の建物に入ってジオラマを使って全体説明。後でわかった事は、このジオラマ説明がないと、自分はどこで何を見ているのかわからないのは間違いなし、という事でした。

ボクはかつての仕事柄、ジオラマとか地図を見て位置関係をパッと頭に入れるのは得意です。すぐ忘れますけど。

ギザのピラミッド(2)
バスでまずピラミッド全体が見渡せるところに移動。ここには大きく4つの遺跡があります。

- クフ王ピラミッド
- カフラー王ピラミッド
- メンカウラー王ピラミッド
- 大スフィンクス


これらは世界遺産”メンフィスとその墓地遺跡”全体(160平方キロ)の北端の数キロ平方の中に位置します。
ピラミッドは写真と同じです。(当たり前ですが)

ギザのピラミッド(2)
記念撮影などをやっていると、ナグラーさんの大きな声、「ラクダ乗りができま〜す」。
ひとり10ドル、もちろん乗ることにします。

ラクダちゃん達は”置屋”、もとい!待機エリアで”お座敷がかかる”までおとなしくうずくまっております。
この中の2頭が指定され、乗ります。

カミさんは少々モタついていましたが、何とか乗駱駝。
ラクダちゃん、ひょいと立ち上がると一気に視界が広がります。結構高いのです。

ギザのピラミッド(3)
ラクダちゃんは、ラクダ使いのオジさんに引き連れられて歩き出します。少し揺れますが、なかなか快適です。

ここで思い出したのが映画”アラビアのロレンス”のピーター・オトゥール、ボクとカミさんは落ちないようにしがみついているだけでしたが、彼はラクダで疾走、戦の演技をやったのでした。

ラクダは非常に知能が高く、温厚で従順、”人を見る”のは馬以上で、扱い方で大きく態度が変わるそうです。今の若い会社員と同じなんですかね、、、。

ギザのピラミッド(4)
ピラミッドは四角錐なのは誰もが知っていますが、近くに行くと全く別の形に見えます。
- 面が視界に収まらない
- 斜面が壁に見える
- 遠近法が崩れる
- 結果として、四角錐ではなく“巨大な石の山”のように見える
、つまり、ピラミッドは“遠くから見るために設計された建造物”か、と思ったりします。
ピラミッドは高さ146m、基底は230mと巨大ですが、他に比較する建物が近くにないので、ボクには大きさがイメージとして十分に伝わってきませんでした。

ギザのピラミッド(5)
高さ146mというのは東京タワーの44%、つまり半分近くの高さになる訳ですが、それもあまり感じません。
これは高層ビルの近くに立つと、高さがわからなくなるのと同じだと思います。

そんな訳でカミさんは、「思った程、感激がなかった」、と言ってましたが、同じ感想を持った方も見えました。

ボクはピラミッドはその大きさ以上に、石を”積んだだけ”で作られている、というところが実際に見ても、どうしても信じられないのです。

 ギザのピラミッド(6)
石を積んだだけのピラミッド、積み上げ面の平面加工精度とか、ボクはこの領域は全くの素人なのでよくわりませんが、これを4000年前に作った、というのがどうしても信じられないのです。

それと何のために作ったのか?という点について、これはほぼ定説がある訳ですが、ボクは言葉としてはわかるものの、”理解”には至らないのです。

自分がガチガチの理系人間で、こういう領域の理解能力が不足している、というのはわかってはいるのですが。

ギザのピラミッド(7)
クフ王のピラミッドは、中に入る事ができます。
これは今回のピラミッド見学の中で一番関心のあるところで、実に興味津々。
入り口でオジさんに断って入らさせてもらいます。こちらの人は若い連中もオッさんに見えるのは白人と同じで、日本的年令感覚から10〜15才くらい引くと丁度よくなります。

入り口を入ると一旦地下方向に続く細い通路に入ります。

その後上昇通路に入りますが、ここが難所で幅が約1.2m、高さは1.2〜1.4mくらいしかありません。
長さは約40m、ここを中腰で進むのはかなりきつい、というかボクにとっては限界ギリギリでした。

というのはボクは脊椎管狭窄症で大手術を受けており、基本的に中腰というのは御法度なのです。
ここは降りる人、上る人の往き来も困難です。

これを抜けると幅が平均2.5m・高さ約8m、長さ47mの大空間(大回廊)、オオ!!と声を出して上がります。

ピラミッド内部探訪は、閉所恐怖症の人は十分に注意・覚悟した方がよさそうです。

ギザのピラミッド(8)
ピラミッドのど真ん中の、”王の間”にたどり着きました。
巨大な花崗岩のブロックが天井にあり、部屋が圧壊しないように、加重を支えている構造のようです。

石棺がありますが、中のミイラは盗掘されて、ありません。多くの副葬品(貴金属など)があったはずですが、これらも埋葬後間もなくの時期に、盗掘されてます。
盗掘は内部を熟知した工事関係者、神官などが関与した可能性が高いそうです。

内部は1960年くらいから換気がされていて酸欠を防止、本格的には今年(2025年)からとありました。

ギザのスフィンクス(1)
スフィンクスはライオンの身体(王権・太陽・力・守護)、王の顔(王の知性・神性)を組み合わせたものです。スフィンクスを見る前にスフィンクス神殿に案内されました。
一杯説明を受けたのですが、ナゼかよく覚えていません。

ボクはこの神殿の花崗岩の加工精度、積み上げ精度の観察に熱中、ここは儀式が行われた空間で、かつては屋根があった、という説明部分だけは覚えています。

隙間には僅かにモルタルが使われているのを発見!モルタル使用は皆無ではなさそうです。

ギザのスフィンクス(2)
スフィンクスは東を向いており、これは”太陽神としての王の守護像”という理由からです。

スフィンクスの鼻が欠けているのは有名な話で、「ナポレオンのエジプト遠征時の砲撃による」、とボクも記憶していたのですが、違うようです。
今は中世のイスラム教による宗教的破壊(偶像崇拝の否定?)である、というのが有力説だそうです。

スフィンクスを最初に見た日本人は、江戸幕府末期の”文久遣欧使節(1862年)”、写真が残ってます。

ギザのスフィンクス(3)
使節団には福沢諭吉が通弁として随行しており、明治になって書かれた旅の随想記にもいろいろ出てきます。

諭吉はピラミッド・スフィンクスを「古代にこれほどの建造物を作った国家が、 なぜ現在は欧州に後れを取っているのか」という観点で分析し、神秘性でも聖性でもなく、文明比較の対象として扱っています。

この日、見学を終えて西を見ると、丁度日没の太陽に照らされたピラミッドとスフィンクスを見る事ができました。
ボクは神秘性と4000年の歴史を感じた一瞬でした。

カイロ1泊目のホテル
カイロというと暑いところ、というイメージがあり、ボクも夏用の服をメインにを持ってきました。
事前に、「朝夕は12〜3℃まで冷え込むので、その準備はやってきて下さい」、という連絡は受けていました。

日没になると18℃程度、最低温度は10℃近くになります。カイロは北緯30度、鹿児島の南部とほぼ同じです。

ホテルに着いてチェックイン、部屋に入ります。ドアーを開けた瞬間、冷蔵庫の扉を開けたような冷気が身体を包みました。何と!冷房が入っているのです。エー!!

ホテルから空港、アスワンへ
昨夜は、冷房で冷え切った部屋、エアコンを暖房に切り替えても暖かくなりません。添乗員に連絡をすると、「このホテルには暖房はありません」、とのこと。再度、エー!!

仕方ないので毛布を持ってきてもらい、厚着をして寝るしかありませんでした。

翌朝は06:15のフライトでアスワンまで行くので、04:00にホテルを出て、バスに乗ります。朝飯は大きな袋の中に入った”BOX BREAKFAST”、バスの中、空港待合室、飛行機の中で分けて頂きました。

アスワン着
アスワンまではカイロから1時間半のフライト、エジプト航空に乗るのは始めてで、評判は??のエアーライン。
機材が古い、客室でのサービス悪い(と言うかバラツキが大)、運航は遅延が当たり前、、、でも幸いにそういう経験をする事なく、予定通りアスワンに到着。
しかし荷物の出てくるのは、別便で送ったのじゃないかと思うほど遅かった!

ボクの経験では、荷物の扱いが最悪なのはアメリカの空港。高さ3m位のリフトから、スーツケースを駐機場にドーンと落としたりは普通でしたね。

アスワン・ハイダム(1)
アスワンと言えば”アスワン・ハイダム”、日本人のある年令以上の人は誰でも、と言えるくらい知っています。

ボクはエジプトのナイル川に作られたダムが、ナゼかくも日本人に有名なのか、ちょっと調べた事があります。ナルホドと言える理由が見つかりました。
一言で言えば、社会主義のイデオロギー教育に日教組が巧妙に利用した、となります。これは事実です。

それはともかく、ここには巨大な”ソ連・エジプト友好記念碑”があり、まずその建設の経緯などについてナグラーさんから説明がありました。

アスワン・ハイダム(2)
巨大な人造湖の“ナセル湖”、大きさは 長さ550Km・幅35Km(約5500Ku)で想像もつきません。湖というより、細長い巨大な川、という事ですかね。
我が三重県が5700Kuなので、面積は同じです。

とりあえずここをバックに記念撮影。この北側に幅3830mの発電ダムがあります。

電力供給(当時の需要の約半分)はともかく、エジプト4000年来の課題であったナイル川氾濫がこのダム建設で解決しました!、とナグラーさんは叫んでおりました。

宝探しでもやってるのかな?
アスワンから更に280km南の、スーダン国境に近いアブシンベルに向かいます。左側はナイル川で、道路は川岸から10km〜20km離れたところを走っています。

右は何百km、いや数千キロ先まで続くサハラ砂漠です。砂漠の広さは800万Ku(日本の20倍の面積)で、ちょっと想像もできません。
途中でナグラーさんが袋を配ってくれ、皆んなで砂漠の砂を採取。いい記念になりました。

ビデオ: アブシンベルまでのサハラ砂漠の風景

トイレ休憩・食事(1)
アスワンからアブシンベルまでは3時間半、途中で食事、トイレ休憩があります。
気温は20度くらい、湿気は30%以下で日陰は涼しい、というより肌寒い感じがします。
ちょっと汗をかいたかな?という動きをしてもあっという間に汗は乾きます。

食事はエジプト料理で、口に合わない日本人は多いかも知れません。
ボクは旅行中は、そこの国の一般的な人が食べる料理を食べるべし、というのがセオリーです。

トイレ休憩・食事(2)
休憩所はこのように緑があります。緑があると言うことは水がある、という事です。
では水はどこから持ってくるか?

ナイル川からは10kmとか20km離れており、落差もあり、パイプで水を引くにはあまりにも高コストになるので、殆どはタンクローリーでの輸送だそうです。

レストランの食器洗いの水、トイレの水、灌木への給水、全てタンクローリーでの輸送です。飲料水は全てボトル・ウオーターです。

砂漠のオアシス、アブシンベル(1)
アスワンから280km、スーダン国境まで50km、ナセル湖の西岸にあり、人口8000人の村です。
突然現れるオアシスです。

近くにアブシンベル宮殿があり、100%観光に依存する村で、農業はほぼ不可能、水はナセル湖からのパイプライン+タンクローリーです。

アスワンからここまでの280kmに町はなく、南の100kmくらいのスーダン領内に町はあるそうです。
観光がなくなれば消える町です。

アブシンベルのリゾートホテル(1)
町の外れの広い敷地に、リゾートホテルがあります。
周りは高い塀に囲まれ、一つの入り口以外からは誰も敷地内に入る事はできません。

部屋はいくつかのタイプがあるようですが、僕たちが泊まったのは120uくらいある、一般的に言う2ベッドルーム・コンドミアムです。
本格的な台所、リビングも広く快適です。但し、作りは「ウ〜ン」というレベルです。
ここは昨日と違って、暖房が十分に効きました。
コンドミアム内部のビデオ

アブシンベルのリゾートホテル(2)
ホテルには、もう一組の日本人観光客グループが泊まっており、やはり大型バスで来ておりました。

コンドミアムはプールを囲むように作られており、更にその外を壁で囲むというレイアウトで、別世界です。
台所はありますが、果たしてスーパーがあって食材は調達できるのか、レンタカーはあるのか、エジプトの個人旅行はハードルが非常に高そうです。というか、普通は無理だと思います。
ビデオ: それぞれの部屋に向かいます
ビデオ: プールと各部屋

アブシンベル宮殿のライトショー(1)
今のアブシンベル宮殿は、アスワンハイダム建設で水没する位置にあったため、水平距離で約200m程度、そして60m高い位置に移動したものです。
移動は1500個以上のブロックに切り分けられて移動、今の位置に作られた基台の上に組み上げらています。

これを光と音で包み、歴史を語るというショーです。
岩山を削って作られた”岩窟神殿”を60年前に移動、忠実に再現とは言うもののオリジナルではないこと、ショーがあまりにも演出が過ぎる、などでボクはちょっと興ざめの感あり、でした。

アブシンベル宮殿のライトショー(2)
ショーは約30分、野外にセットされたベンチに座っての観劇、気温は15℃以下になっていました。

巨大建造物そのものをスクリーンとして、ナレーションはラムセス2世についてからアスワンハイダム工事の水没から遺跡を救った事、etc。
このショーは最低催行人数が集まらないとやらないとか、ちょっとクセのあるショーでもあるようです。

一番の驚きはこの日のナレーションは何と!、「日本語」だった事です。確かに日本人は多かったのですが、それでも20%くらいだったと思うのですが、、、。

ホテルに帰って食事
エジプト旅行中、1回を除きズッと飲んだエジプトの国民的ビール”STELLA”。
軽いラガーで、苦味は弱めで後味スッキリ、アルコール度は4.5%で非常に飲みやすいビールです。

330ccの瓶もメニューには載っていますが、「330は今ありません」、という事で一度も注文できませんでした。

値段はレストランでは1本5ドル(約800円)〜6ユーロ(約1100円)でしたが、街では45EGP(約140円)で買えるそうです。

早朝のアブシンベル宮殿(1)
旅行4日目の朝05:30にホテルを出発、アブシンベル宮殿に向かいます。
この日のアブシンベルの日出時刻は06:23、こういうのを調べるのはスマホを持っていると便利です。

スマホを海外で、WIFI環境のないところで使う方法はいろいろあり、今までは日本で物理SIMを購入していたのですが、今回はE−SIMをインストールしてみました。

10日間/5GB/通話なし、で4000円。こういう感激的な写真をリアルタイムで日本の知人などに送れます。

早朝のアブシンベル宮殿(2)
アブシンベル宮殿は約3300年前に第19王朝・ラムセス2世によって建立された、とナグラーさんの説明。

ここには大神殿(ラムセス2世自身を祀る)と、その北側100mくらいのところに小神殿(王妃ネフェルタリと女神ハトホルを祀る)があります。
昨夜はこれらをスクリーンにライトショーが行われた、という仕掛けです。

正面に高さ約20mのラムセス2世坐像4体と足下には小さな像があります。

早朝のアブシンベル宮殿(3)
内部はいくつかの区画に分かれており、これは典型的な神殿の構造です。
壁には見事な巨大なレリーフ(壁面彫刻)があり、戦いを描いたものが多かったように思います。

ガイドのナグラーさんの説明は判読困難で、”ガデシュの戦争”という部分しかわからず、後で少し調べました。

ガデシュの戦いとは、シリア支配を巡ってのエジプト(第19王朝:ラムセス2世)とヒッタイト帝国(ムワタリ2世)の戦いです。

結果は”引き分け”ですがラムセス2世は“大勝利!”という事にして、自分も戦車に乗って戦った、とかのプロパガンダを張った、となっています。

現在の研究結果によると、戦いはラムセス2世の負け戦に近かった、という事なのですがこの人、勝ち戦に変えて、「どや!?ワシは凄いんやで!」、とやったわけです。

大神殿は「カデシュの戦いの勝利を記念するための軍事記念碑」で、同時にラムセス2世が自らの王権を誇示・永遠化するための巨大な政治・宗教装置です。

早朝のアブシンベル宮殿(4)
なので、ここのレリーフはよく見ると、結構リアルな戦いの様子が描かれています。敵兵を串刺しにして切り刻んでいるところとかもあります。
逃げ回っている姿はヒッタイト側の兵でしょうか。

しかし研究では、これらは殆ど誇大広告、ウソに近くラムセス2世軍は痛手を受けて敗退に近かったという解釈です。

ボクはこういうのを聞くと、どうしても気になるのが”投入戦力”と”損害”で、戦力は2万〜2.5万人、戦死はその10〜15%程度とありました。

早朝のアブシンベル宮殿(5)
ボクはこういうレリーフを見逃しません!酒を造って、それを王様に飲ませている〜
という事で写真撮影。アメリカでは、ドブロク造りをよくやったよな〜、とか思い出しながら、、、。

やっぱり王様・古代人も宴会をやってたのか〜、とその場では納得したのですが、これはとんでもない”浅はかな解釈”である事が後で調べてわかりました。

酒は生命力の象徴で、これを王が毎日飲むことによって神である王は日々”再生”する、その他様々な重要な意味を持つ、とありました。

早朝のアブシンベル宮殿(6)
小神殿には、”王妃ネフェルタリ”と”女神ハトホル”、が祀られています。正面には高さ約10mの立像6体(ラムセス2世像が4体、王妃ネフェルタリ像2体)あります。

注目すべきは、王の像と王妃の像が同じ大きさである、という点です、これはエジプトでは極めて異例で、ラムセス2世の王妃に対する寵愛と、その地位(女神としての?)を示すという事です。

この観点でその後、各地の遺跡を見たのですが、王(男)と王妃(女)、それに子が同時に描かれたりしているものは明確に大小がありました。

早朝のアブシンベル宮殿(7)
内部は空間全体が”女神の体内”を象徴しており、柱には女神である”ハトホル”が掘られています。

壁面モチーフは大神殿のような戦を描いたものはなく、女神(?)とかが描かれており、ラムセス2世は主役ではない、という事です。

つまり大神殿は王の”力”とか戦争の勝利を描き、小神殿は女神で言ってみれば”生命力”のようなものを描いている、という事です。レリーフを見て、雰囲気そのものの違いを大きく感じました。

アブシンベル宮殿の見学を終えて
神殿の見学を終えて、神殿の裏側を通りバスの駐車場に向かいます。
たくさんの岩片があり、60年前に行われた神殿移設工事の名残だと思ったのですが、多くの岩片が積み重ねてあります。ここに来た観光客が積んだものでしょう。

賽の河原?死者の供養?イヤ、ここはエジプトです、そういう信仰を持った人がここに来た?じゃ、日本人?

単純な来訪の記念に石を積む、という習慣は世界各地にあるので、それでしょうね、きっと。

アスワンに戻ります
早朝のアブシンベル神殿の見学の後、ホテルに帰って朝食、そして再びバスに乗ってアスワンまで。途中でトイレ休憩。アスワンまでは280kmで、この間に見かけた休憩所は往きに食事をしたところを含めて、確か3カ所だけでした。

店でエジプトコーヒーを買って飲んでみました。50EGP(エジプトポンド)、でもEGPは持ってないので1ドルで勘弁してもらいました。(1ドルは約47EGP)

この砂漠の一本道路の風景、どこかで見た記憶、、、そう、アリゾナの旅もこういう感じのところがありました。

香水屋さん(1)
アスワンに入ったところで、バスは香水屋の前で停車。
エジプトは香水、アロマオイル(香油)で世界的に有名で、4000年の歴史を持つところです。

フランスなどで香水が多用されていたのは、入浴の習慣がなかったので体臭隠しで香水が使われていた、というのは知ってのとおりでエジプトも同じか、と思ったのですが、全く違う理由でした。

古代エジプトは”香り文明”で儀式、日常の身だしなみ、衛生、社会的ステータスなどの全てに使われていたそうです。それとミイラ作りにも必須だった、、、。

香水屋さん(2)
香水・アロマオイル抜きにエジプトの歴史、文化は語れない、それくらい重要なものなのですね。

ま、それはともかくボクの興味は香水・アロマオイルを入れるガラス容器とその製作の実演。
一次加工済みのガラス管をバーナーで炙って、あっという間にラクダ・デザインの香水入れが完成です。

このオジさん、気難しそうな顔でしたが、出来上がった容器を持って愛嬌のある顔でニッコリ、気に入りました!
ビデオ: 香水入れの製作の実演

香水屋さん(3)
ツアークループは女性13名、男性5名で、女性が圧倒的に多いのは、近年の特徴です。

店では皆さん目の色変えて大いに散財、私のカミさんもアロマオイル(香油)を買ってました。
何種類かの中でボクの気に入った香りもあったので、書斎に匂いをつけても良いかも、、、。

ボクはガラスの香水入れが大いに気に入ったので、何個か買いました。目的は昨日採取したサハラ砂漠の砂を入れる容器として、です。

ナイル川クルーズ船にチェックイン(1)
13:30にナイル川クルーズ船”MS TOWER PRESTAGE”の桟橋に到着、クルーズ船でのエジプト文明の旅は、かなり完成度の高い旅として有名です。

船はアスワン(出航)⇒コム・オンボ⇒エドフ⇒ルクソール(入港)という川下りのコース(北向き)で、それぞれの4カ所で遺跡などの見学を行うという内容です。

寄港先での見学もさることながら、ナイル川をゆっくりと航海する船から見える両岸の風景は何千年前と同じで、大変感激をしました。

ナイル川クルーズ船にチェックイン(2)
船室は3F(最上階)の階段を上がったところから2番目というグッドなところ、部屋は清潔でまずまずです。
階段の反対側には、広々としたラウンジがあります。

クルーズ船は一般団体客利用が多い”スタンダード”、日本人ツアーなどが利用する”デラックス”、スイート中心の”ラグジュアリー”、の3つのグレードがあります。

船には女性のクルーは皆無で、レストランから船室掃除、その他全ては男性によって行われました。イスラム社会の特徴ですね。

未完のオベリスク(1)
乗船した日(旅行4日目)は船は出航せず、アスワンの波止場にて翌朝まで停泊。
食事後バスに乗って”未完のオベリスク”の見学。

ここはオベリスクを切り出したものの、途中でひび割れを発見、切り出しを諦め放置した採石場跡です。

この遺跡の最大のポイントは、当時の”作業工程”がフリーズした状態で残っている点です。
つまり作業を諦めた3500年前がそのまま残っている、という技術的な価値がある、という事ですね。

未完のオベリスク(2)
切り出そうとしたオベリスクは全長42m(ビル14Fに相当)、重量は1200トン、切り出し方法について、ナグラーさんの説明ではイマイチ、そこで後で少し調べました。

道具はドレライト(粗粒玄武岩)で溝を掘っていく、そして穴を開けてこれに木の楔を打ち込み水をかけて、木を膨張させて岩を割っていった、、、。

オベリスク自体は花崗岩で、これも非常に硬い。どれくらいの人数と期間が必要か、その後のナイル川までの運び出しは、、、疑問は尽きません。

カルトゥーシュ店
”未完のオベリスク”の後、バスはカルトゥーシュ店へ。カルトゥーシュとは”王名を囲む楕円形の枠”で、これを今風のアクセサリーにして売っている店です。

長さ約4cm、幅3.5cmくらいの楕円形のデザイン板に名前を彫ったりして、首からぶら下げる、簡単に言えばこういう装飾品です。

この店の材料は金が主体で、オッと!というような値段のものもありました。
何人かの方が買われていました。

帰りの列車です
船に帰って遅めのランチ。朝昼晩全てバフェ形式で、何の変哲もない普通の品揃えです。
日本人は旅行というと、直ぐに食事の事が話題になりますが、ボクはこのテの旅行では、あまり関心はありません。

こういう大きなテーマがある旅行では、食事の時間を切り詰めて昼はサンドイッチとジュースだけ、夜は肉か魚とビールでさっと済ませれは十分、というタイプです。

船のロビーには何と、”クリスマスツリー”が飾ってあり、イスラム教国に来て、ツリーを見るとは思いませんでした。

コム・オンボに向けて出航(1)
午後2時少し回ったところで、アスワンを出航、3時半からサン・デッキ横のバーで、ティータイム。

気温は20℃を切っていましたが、隣の船のプールでは水着姿の白人のご婦人がいた、という事でカミさんはびっくり。

コーヒーとケーキを頂いた後、皆さんのところへマッサージの売り込みがやってきました。
様々なコースなどの説明をしていましたが、値段はリーズナブルだったように記憶しています。
ビデオ: サンデッキからの眺め

コム・オンボに向けて出航(2)
クルーズ船はいわゆる”川舟”で、海洋のクルーズ船とは構造も全く違います。
吃水(水面下)は2m程度で、箱の上に軽量のホテルを載せて浮いているというイメージ、そしてこれにほんの小型のエンジンが載っていると考えればいいと思います。

横波、強風を受けるという前提の船ではなく、波のない川面を滑るように進むので、船酔いなども起きようがない、と思います。
強風は春先に砂嵐があるのですが、その時は岸辺に接岸して航海しません。

日没のクルーズ船
夕方5時、日没です。大きな太陽が西に沈む中をクルーズ船はナイル川を北に向かってゆっくりと進みます。

不思議なのは、アスワンを恐らく15隻くらいが一斉に出港したことです。展望デッキに上がって周りを見渡すと、前後左右同じような船が何隻も見えます。

ナゼ一斉に出港したのか、これは”エジプトを知る”という意味で非常に奥の深い、意味のある事だというのが後でわかりました。
この時ボクは、「ナゼ一斉に?」、と強く疑問を持ったので調べたという次第です。

コム・オンボ観光(1)
ここでのナグラーさんの説明は、ボクにとってちょっと難解だったので、理解は限定的。
そこで自分で調べた事を書き込んでみます。

この神殿は2つの神を同じ神殿内に平行に祀ってある、というのが特徴です。普通は一つの神には一つの神殿をつくるのですが、これを同じ屋根の下に祀ってある、というのが最大の特徴です。
・ 南側:ワニ神ソベク(自然・豊穣、水の神)
・ 北側:ハルウエル(王権、秩序、太陽)

建造は紀元前1世紀〜2世紀です。

コム・オンボ観光(2)
ソベクとホルスという二つの神を対等に祀る政治的・宗教的建築で、古代エジプトの標準的な神殿構造ではありません。

理由はここの支配者はギリシャ系のプトレマイオス朝で、ギリシャ的な対称性・秩序を好んだものの、エジプトの宗教も尊重しなければならない、という理由からです。

つまり、 ソベク信仰(ワニ神)と、 ホルス信仰(王権の守護神)の2つの勢力が存在し、どちらか一方を優遇すると、地域の宗教勢力が不満を持ち、反乱や不安定化につながる、という政治的な配慮から、とあります。

コム・オンボ観光(3)
コム・オンボはナイル川の氾濫管理に重要な地域で、ソベク(ワニ神)はナイルの象徴で水管理、農業生産、氾濫カレンダーなど、地域の生活基盤に直結していました。
しかし、ソベクだけを祀ると「王権の正統性」が弱くなるため、ホルス(王権の守護神)も同格で祀る必要があり、結果として二重神殿が成立したという次第です。

ソベク入口 → 前庭 → 列柱室 → ソベク聖域
ホルス入口 → 前庭 → 列柱室 → ホルス聖域

を一カ所で祀ってある、という構造です。

コム・オンボ観光(4)
しかし、ボクはこれらの基礎情報の理解不足で、話を聞いても、「へ〜」で終わってしまいました。

どこへ行っても同じですが、見学の対象物はその概要・ポイントを事前勉強しておかないと、’見学の価値は半減する’、というのを見事に証明してくれた、という次第です。

モチーフは”ナイル川氾濫のカレンダー”とか、”医療器具(メス、鉗子、外科器具)などがあり、これが有名だそうですが、写真が撮れていません。ソベク信仰ではワニが神聖化されており、ワニのミイラを入れる棺が多数ありました、

コム・オンボ観光(5)
古代エジプトではナイル川のワニは
・ 恐怖の象徴(ナイルの氾濫、危険性)
・ 豊穣の象徴(ナイルの恵み)

という二面性を持つ存在で、この二面性を神格化したのが ソベクです。そのため、ワニは“聖なる動物”として扱われ、ミイラ化されました。

神殿の横には“ワニ博物館”があり、4mくらいのデカいのから2mくらいの小ぶりなワニまで一杯展示されています。
ミイラなので一応やせ細っていますが、現役時代は迫力満点、人間などは一撃だったのでしょうね。

コム・オンボ観光(6)
ワニ博物館にはワニの卵、胎児も展示されています。
2000年以上前のものとは思えません。

金・象牙の歯もあり、これはミイラ化した後に装飾として取り付けられたものです。
卵は再生、豊穣、生命の循環を意味する、とありました。

ワニは今でも数多く生息しており、ナセル湖以南スーダンまでのナイル川にいるそうです。
しかしミイラとは言え、いずれのワニちゃんも、どう猛そうな顔をしておりました。

クルーズ船上での誕生日のお祝い
ツアーメンバーのひとりのご婦人の誕生日(12月13日)だったようで、夕食の時に乗組員がタンバリン、太鼓で歌を歌い、ケーキをプレゼントしてくれました。

タンバリンはリク(RIQQ)と呼ばれるアラブ音楽の代表的な打楽器です。

写真の左から2人目の蝶ネクタイのウエイターは私たちのテーブル担当で、キビキビ動きのいい人でした。
下船の時にお礼を言って少し話をしたら、この船に乗って3年だと言ってました。

コム・オンボの見学を終了、船はエドフに向けて出航です。旅もあっという間に5日間が過ぎてしまいました。
船の中ではガイドのナグラーさんを囲んでのエジプトのQ&Aミーティングがあり、これは大変良かったです。ナグラーさんはカイロ大卒、横浜国大に2年の留学をしており、ガイド歴は30年という人です。

ボクは現役時代にサウジアラビアに出張、イスラム教国についての話はかなり聞いたり見たりしており、「ちょっと聞きにくい事ですが、イスラム教と女性について教えて下さい、、、」、という事で際どい質問をいくつかやりました。
ナグラーさんはインテリでもあり、日本とそれ以外の国の事もよく知っているので、エッというような事も教えてくれ、それの一部はバスの中でマイクで皆さんにも説明をしてくれました。

これらは別途トピックで記録しておきたいと思います。
旅の後半はルクソール、アレキサンドリア、カイロ、とエジプト・ツアーの頂点に向かいます。