エジプト旅行(2):2025/12/9〜12/18
エジプト観光も6日目、ここまでは日本からの5〜6日でのツアーでは、訪問する事の少ないところでしたがエドフ以降、特にルクソール、カイロ、アレクサンドリアは多くのコースが訪れるポピュラーな場所です。

今回の旅はナイル川の川下りもツアーの目玉になっており、ルクソールまでのクルーズは大変素晴らしい感激的な旅となりました。
各地いずれも観光客は多く、ヨーロッパ・アジア・アメリカなど各国入り交じっていました。アジアは日本、韓国、台湾がメインで、これに東南アジア各国が少しという感じでした。

エドフ:ホルス神殿(1)
クルーズ船はコムオンボから早朝の05:15にエドフ到着、バスに乗って”ホルス神殿”。
7時前、まだ真っ暗ですが既に長蛇の列。

ここの見学は気温の問題(夏は40℃〜45℃!)、クルーズ船の運行の都合などにより早朝見学となっています。

行列の前にいた東洋人のグループ、家族のお父さんらしき結構どう猛そうな顔の人に、どこから来たのか聞いたところ、「タイ」とのこと。
他に日本人のグループもいくつか見ました。

エドフ:ホルス神殿(2)
エドフ神殿は、エジプトで最も保存状態の良い”古代神殿”で、紀元前2世紀〜1世紀頃に建築されたそうです。
ボクはこの紀元1世紀とかを聞くと、我が日本はどういう時代だったか、というのを考えるようにしています。

その頃の日本は、そもそも日本という統一国はなく、多くの小国(クニ)が存在していた弥生時代の中期〜後期です。邪馬台国が成立したのは、ずっと後の2〜3世紀の頃です。

もっと具体的に言うと文字はなく、建築物は木と泥の原始的なものしかなかった時代です。

エドフ:ホルス神殿(3)
この神殿は「ホルス神(天空の鷹神)」の巨大な聖域で、古代エジプト宗教の”完成形”がそのまま残る、とあります。

建設したのは「プトレマイオス朝」で、ルーツはギリシャ系(マケドニア)で、その前の支配者であったペルシャ王国を破り、エジプトを支配しました。

彼らはエジプト人の反乱を防ぐために、伝統的なファラオの格好をして、エジプト神話を保護したそうです。
つまり、「エジプト人の心を掴むための、高度な政治的パフォーマンス」の結果、とされています。

エドフ:ホルス神殿(4)
神殿は列柱に囲まれた広場があり、それを抜けてどんどん入っていきますが、歩きながら、説明を聞きながら、キョロキョロしながら、メモをとるというのは、至難の業です。

こうなると事前にどこまで予備知識が入れてあるか、予備知識がないと説明を聞いてもピンと来ません。
ボクは少しは入れてきたつもりですが、殆ど理解不能という場面が何度もありました。

ホルス神殿は、ギリシャ系の王たちが「エジプトの伝統をリスペクトしていますよ」というポーズを形にしたものであり、同時にエジプトの文化を絶やさず守り抜くためのシェルターのような役割も果たした、とります。

という事で”エジプト流に変装したギリシャ人”の支配は非常にうまくいき、300年もの間エジプトを支配しました。

ホルスは王権の守護神です。
ギリシャ人の王が”ホルス神を祀る”ということは、”私の王権は神に認められたものだ”と宣言するのに最適でした。

ある民族が他民族を支配するとはこういう事なのですね。
日本にはない歴史です。

エドフ:ホルス神殿(5)
”プトレマイオス朝”の公用語はギリシャ語でした。

しかし神殿内の文字は全て”古代エジプト文字”で、これは行政・商業(?)はギリシャ語、宗教・神殿はエジプト語という、今流で言うと”二重構造”という事でしょうか。

これを知ってボクはベトナムを思い出します。
フランスの植民地にされたベトナムは漢字を捨てさせられ、ローマ字表記”クオック・グー”を公教育・行政に強制導入、フランスは支配を盤石化した、、、、。
これはたった100年前の事です。

エドフ:ホルス神殿(6)
神殿の見学は入り口と出口が別になっており、終えると土産物屋の通りをイヤでも通ることになります。

ホルス神殿の見学者クルーズ船以外では殆どいないそうで、これは交通の便によるります。
なので、客もワーッと来て、ワーッと帰る、土産物屋も”短期決戦型”の商売になります。

ですから客引きは強烈です。「1ドル!1ドル!」とものすごい勢いです。でも1個1ドルではありません。これは客の足を止めさせる、フックの言葉です。

船に戻り朝食です
ボクは普段は朝食を食べないのですが、旅に出ると食べます。
普通のバッフェ(バイキング)で、メニューは万国共通ですが、牛乳がない時があります。

これはエジプトでは冷蔵で牛乳を運ぶ輸送ネットワークが非常に弱い、エジプト人は牛乳を飲む習慣が薄い、朝食はヨーグルト・チーズが中心だそうです。

つまりエジプトは高温で牛乳が傷みやすく、食中毒とかのリスクを回避するため、牛乳を置くことを避ける傾向にあるとの事でした

タオル・アート
ベッドの半分以上の長さの、ワニちゃんのタオルアート、最初はびっくりでしたが、段々飽きてきました。

日本のホテルでタオルアートを見かける事はないのですが、これはチップ文化と関係があるように思います。
上手に作ってくれたタオルアートには、やはりチップを置きたくなりますよね。

タオルアートを日本で見ないのは、部屋の清掃係に要求する内容が、他国と日本は違う、というのもあると思います。

ブリッジ見学
クルーズ船”MS TOWER PRESTAGE”のブリッジはボクたちの船室の突き当たりで、ガイドのナグラーさんの案内で見学をする事ができました。
船長はブリッジの真ん中に座り、小さなダイヤルで進路も速度も調整、です。

聞くと船体はエジプト製ですが、エンジンはドイツ製、上甲板最上部にあったレーダーは日本製(FURUNO:古野電気)でした。
船長に乗組員の数を聞くと10名との事で、みんなのんびりしたものでした。

エスナ水門(1)
エドフを08:00頃出港して4時間後の正午頃、船はエスナ水門(閘門)に到着します。エドフを出港したクルーズ船は10隻以上、15隻くらいいたかも知れません。エスナ水門はナイル川の水位差約8mを調整するためです。

クルーズ船は、エドフをほぼ同時に出港するので、水門前にはズラリと船が並びます。1隻の通過時間は10分〜15分、私たちの船は後の方なので、ここで2時間くらい足止めとなりました。
ビデオ:エスナ水門前で通過を待つクルーズ船群(1)
ビデオ:エスナ水門前で通過を待つクルーズ船群(2)

エスナ水門(2)
エスナ水門通過を待つ各クルーズ船には、土産物売りの手こぎボートが何隻も近づき、物売りを始めます。
クルーズ船は水門通過待ちで、殆ど停船状態になること、客が甲板上に群がること、などで商売をするには絶好のチャンスなのです。

ビニール袋に入れた商品をボートから、クルーズ船の甲板まで投げ上げて、客は気に入ればお金を入れてその袋を投げ返す、という非常にユニークな方法の商売です。見事に土産物を投げていました。
ビデオ:土産物売りのボート

エスナ水門(3)
やっと水門通過の番ががまわってきました。水門の手前まで進み、前の船の水位調整の様子をじっくりと見ます。

川下の方の水位が6〜8m低いので、船は川下側のゲートが閉じた”ロック・チャンバー”に入ります。

船が入りきったところで川上側のゲートを閉じて、その後川下側のゲートを開けて水位を調整する、という手順です。

理屈は単純ですが、仕掛けはダイナミックで私はこういう水門を見るのは初めて、大変興味深く見学しました。

エスナ水門(4)
”MS TOWER PRESTAGE”がチャンバーに入る寸前の様子で、奥のゲート(川下側)がクローズしており、手前のゲート(川上側)が開きつつあるところです。

土産売りのボートは船にぴったり付いて、必死で商売を続けますが、日本人はこういう買い方はしないのですね、、、。

パナマ運河は水位差が25m以上あるので、こういうチャンバーが6個あり、ゲートのオープン・クローズを繰り返し、通過時間は10時間以上だそうです。
ビデオ:チャンバー内の通過の様子

エスナ水門、通過完了
ナイル川の川沿いは数百メートル程度の緑地帯があり、その外側は一気に砂漠、という景観です。

ナイル川の水源は2つ、一つはエチオピア高原から、もう一つはルワンダからで、エジプトに入ってからのナイル川の1500kmでは一滴の水も増えていません。

つまり支流はゼロ、年間の降水量は数ミリ以下(殆ど0)で、エジプト文明がこの細い川沿いに集中していた理由がよくわかります。
ビデオ:エスナ水門を通過して進むクルーズ船

 ルクソール神殿(1)
船はルクソ−ルの港に接岸、グループ・メンバーは下船してルクソール宮殿へ。入り口には6体の巨大なラムセス2世像があります。

かなりの数の観光客がいます。これらの観光客はクルーズ船、飛行機(カイロから1時間くらい)、それに鉄道・バス(カイロから10時間くらい)で来るそうで、殆どがグループ・ツアー客です。

ゾロゾロと宮殿入り口に向かって歩いていきます。顔ぶれを見ると白人客が3分の2くらい、あとは有色人種ですが、アジア系も時々見かけます。

ルクソール神殿(2)
ルクソ−ル神殿が、今から3400年前(BC1400年)〜3200年前(BC1200年)の200年間をかけて作られました。
200年と聞くと日本人はなかなかピンと来ないわけですが、後世の中世ヨーロッパの大規模建築も同じです。

ボクが行ったことのあるところだけでも、ドイツのケルン大聖堂(600年)、ミラノ大聖堂(500年)、バチカンのサンピエトロ大聖堂(150年)、、、。

昨年行ったスペイン・バルセロナのサグラダファミリアも150年で、完成は2030年を予定していますが、「多分ずれ込むんじゃないか」、とガイドが言ってました。

ルクソール神殿はアメンホテプ3世が着工、その後ラムセス2世がほぼ完成させた、と説明はありました。
しかしその後も追加・改大規模修改宗なども行われており、ルクソール神殿は時代ごとに“継ぎ足し”されてきた建造物、と言えます。

神殿の最大の目的は、”王の即位を神が承認する場所”、つまり支配者の正当性を認めさせる場所、、、こういう事でしょうか。

ルクソール神殿(3)
ルクソール宮殿には「これでもか!」、というくらいに柱が、それこそ”林立”しております。
後で少し調べてみました。

柱の上は”つぼみ型・開花型”になっており、これは創世の沼(ナイル川)から生えた葦(パピルス)を表しています。

古代エジプト神話では「世界は原初の混沌の水(ヌン)から始まった」とあり、つまり柱は、「宇宙創成の瞬間を再現する象徴的植物」、、、「原初の植物=創世の象徴」、、、という事だそうです。

ギルクソール神殿(4)
壁面には夥しい壁画が描かれており、一点ごと全てに具体的な意味があります。
農作物などをカゴに入れて持っている壁画などもありますが、庶民の生活を描いたものでは決してありません。

これは”王が神に供物を捧げる”、ところでその後に”神から生命の象徴アンクを授かる”、というように全ては王の正当性と象徴性を表しているそうです。

ラムセス2世は”戦上手”(本当は違ったらし)という事で、戦いの壁画も多くありました。

ルクソール神殿(5)
とにかく柱だらけです。
柱の中には上部が開花型ではなく、四角い梁(と言えばいいのでしょうか)で繋がっているものもあります。

これは天空を表すとかで、ボクは建築は素人なのでよくわかりませんが、上部加重の分散?、とか考えたりしていました。

四角い石材の重量は何十トンもあるはずで、ボクは見学をしながら、「これを加工してから、円柱の上にどうやって載せたのか?」とかそういう事ばかり考えていました。

ルクソール神殿(6)
入り口のラムセス2世像の前に戻ってきました。

像の左側にオベリスクが立っており、かつては右側にもう1本ありましたが、1830年台にエジプトがフランスに”贈呈”、現在はパリのコンコルド広場に立っています。(高さ23m、重量230トン)

贈呈とは、実態としては当時の不平等関係の中での“半ば強制的な移出”という解釈が正しいようです。
ちなみに、イギリスの大英博物館などは、エジプトその他の国々からの略奪品で埋め尽くされています。

土産物屋ストリート
見学を終えて土産物屋の並ぶ通りを抜けていきます。
土産物で”極端に安い、同じ形状のモノが大量”の場合は、中国製と見て間違いありません。

小型のスフィンクス像、LED付きのオベリスク模型、安価なパピルス風ポスター、、、。

ガイドのナグラーさんによると、エジプト製でまず間違いないのは、アラバスター(方解石)の器、真鍮・銅のランプ(職人製)、手描きパピルス画(観光向け工房) 香水瓶(ガラス吹き)などで、ちょっと高めだそうです。

馬車で船まで(1)
見学を終えてクルーズ船の波止場までカレッシュ(小型観光馬車)に乗りました。
これは1頭立てと2頭立てがあり、ボクらが乗ったのは1頭立てのカレッシュ。

ナイル川沿いの夜の町中をパカパカと走ります。こういう馬車に乗るのは初めてです。
馬車文化は19世紀に、ヨーロッパの都市交通の影響を受けて使われるようになったそうですが、今では完全な”観光用”で使われてます。
ビデオ:カレッシュからのルクソールの町並み(1)

馬車で船まで(2)
夜のルクソールの町並みはなかなか異国情調に溢れ、石の宮殿ばかりを見た目には新鮮です。

料金はツアーの中に標準で組み込まれているので、特に支払いはないのですが、我々の距離だと普通は30EGP(約100円)、観光客用にぼったくられても100EGP(約300円)くらいのようです。

ちなみに某ツアー会社のJTBでは、これを日本円で8000円のオプションにしてます。
ビデオ:カレッシュからのルクソールの町並み(2)

新郎・新婦さんとばったり!
クルーズ船の港近くでカレッシュを降りて、船に向かう途中で結婚式を終えた、または披露宴に行くと思われる新郎新婦に会いました。

丁度車に乗り込むところで、ご両人ともかなり緊張した表情、周りを2人のガードマンに囲まれていました。

ボクはこういうのを見ると、歓声を上げて拍手をしたくなりますが、皆さんは2人を見ながらヒソヒソと話をするだけ。拍手をしたのはボクだけで、皆さんからジロっと見られました。

船に戻りました
ボクのいたオハイオでは、結婚披露宴に全然知らない人が入ってきて、一杯やって祝福したりする習慣がありました。
これは”Wedding Crashing”と言いますが、NYとかLAの都会ではNGです。

ボクも一度だけ、アメリカ人と一緒に外出した時、大きな野外会場でやっていた披露宴に出くわしたので、車を停めて”Congratulations!”とやった事があります。

新郎新婦をジロジロと見た日本人御一行様は、船に帰ってきました。

回転ダンス、タンヌーラ(1)
クルーズ船に戻って夕食を済ませ、サロンでショーをやります、という事で行くと、例の有名な”クルクル・ダンス”。
テレビで数回見たことがありますが、実際に見るのは初めてでクルクル見事に回り続けます。

直径3m近くあるスカートをクルクルと回し続けます。いつぶっ倒れるか見守りますが、ダンサーは笑顔を絶やさずスカートの形などを変えながら踊り続けます。
ダンサーは男です。

ビデオ:タンヌーラ(1)

回転ダンス、タンヌーラ(2)
タンヌーラの起源はトルコの宗教儀式で、エジプトでは儀式ではなく、完全なエンタテイメントです。

スカートは回すだけではなく頭上に掲げたり、分離して投げるように回したり、様々なテクニックを披露してくれます。
タンヌーラは結婚式とか祭り、タンヌーラの劇場もカイロにはあるそうです。

タンヌーラのスカートは10kg以上あり、ダンサーはものすごい訓練をして目が回らないように鍛えるそうです。
ビデオ:タンヌーラ(1)

下船です
アスワンからルクソールまで3泊4日のクルーズ船で移動しながらの観光、なかなか充実していました。

朝食と夕食は必ず船で食べ、テーブル担当のウエイターと最後に記念のショットをお願いしました。
彼は英語もキチンとしゃべり、聞くとこの船に来て3年とのこと、動きもキビキビして、ボクの飲むビールをいつも持ってきてくれました。

エジプトの一般的な勤労者の平均月収はドル換算で200ドル(3万円)、彼もそういうレベルなんでしょうか、、、。

下船の日の朝
ツアーは7日目、昼食の後最上甲板に出てみると、陸地の方には多くの熱気球が。
これはルクソール名物の”熱気球サンライズ・ツアー”で、この日は40基程度が上がっていました。
このツアーは超人気で、王家の谷などの有名観光スポットを空から見る事ができ、約45分でひとり100ドル程度だそうです。
熱気球は気流の安定している早朝のみで、特に冬場は風も安定しており、観光客も多いので、たくさん上がるという事でした。
ビデオ:熱気球サンライズ・ツアー”

下船しました
船の残したスーツケースなどは係がバスに積み込んでくれるので、我々は船を後にしてバスに乗り込みます。

グループツアーは長所、短所いろいろありますが、移動手段とホテルの手配、殆どの食事の準備もされているので、とにかく効率は抜群です。
観光そのものは「ここは、もう少しゆっくり見たいな」と思ってもさっさと行ってしまうこと、が欠点と言えば欠点です。
費用はインフレと円安のおかげで、ここ7〜8年で確実に1.5倍近くになりました。

カルナック神殿(1)
カルナック宮殿に着きました。
入り口を入るとビジターセンターがあり、宮殿全体のジオラマがあります。
これを見ながら歩き回る順路などの説明を受けますが、やはり地図が欲しいところです。

入り口まで歩いていくとアメン王の守護を象徴する羊頭スフィンクス(頭は羊、身体はライオン)が左右に20体ほど並んでいます。
この神殿はアメン王が祀られている、つまりファラオの王権を神の名で正当化する、、、こういう事です。

カルナック神殿(2)
つまり支配者は神に繋がっており、神から与えられた権力を行使している、こういう事なのですね。

入り口を入ると巨大な柱群があり、これが神の世界に入る境界を示しています。

ではこの神殿の中には誰が入れたのか、一般人も入る事ができたのか?ガイドのナグラーさんに聞いてみました。
答えは「誰でも入れました」。

これは大いに疑問に残り、旅から帰って調べてみました。

カルナック神殿(3)
調べた結果は、「一般人は、絶対に中には入れない」で、スフィンクスが並ぶ参道まで、ここで祈ったり祭りの行列を見たりしたそうです。

では誰がどこまで入れたのか。
入り口を入った中庭までは”下級神官”、列柱群のあるところから聖域までは”高位神官”、その奥にある神の部屋(聖所)はファラオだけ、となっていました。

ガイドのナグラーさんは知らなかったのか、それとも答えるのが面倒だったからなのか、よくはわかりません。

これは日本でも同じで、例えば伊勢神宮は一般人は柵の外(外玉垣)、柵の中に入れるのは知事など、国会議員、国務大臣、総理大臣、皇族です。
これらの人も地位によって正殿に近づける距離が決まっています。

また正殿の中には天皇陛下しか入れない、皇后陛下も正殿の外に立つ、となっています。

カルナック宮殿も全く同じなんですね。

カルナック神殿(4)
神殿は巨大で、とにかく柱、柱、柱です。
大列柱室と呼ばれるエリアには134本の柱があり、最大の柱の高さは21m、直径は3mあります。

神殿の敷地面積は100ヘクタール、つまり1kuと説明があり、これを全部見て回ることはできません。ツアーは主要なところだけを約1時間で見学した、という次第でした。

建築以来2000年間使われたとの事でしたが、全部で使われていた、という訳ではなさそうです。増改築の結果、1kuの広さになった、という解釈でいいと覆います。

カルナック神殿(5)
この神殿の壁画も説明によると”神々との儀式・戦勝”がびっしりと刻まれています。よくぞ、ここまで作ったものだと柱の建築と同時に驚くばかりです。

”王は強い、そして王は神の後ろ盾がある”というのを視覚化していると言えるのでしょう。

そしてここの特徴は一部の壁画に色彩が残っている点で、これは神殿がその後長い間埋もれていたので、風化を免れた結果によるそうです。
当時の神殿は非常にカラフルであった、という見解です。

カルナック神殿(5)
巨大なスカラベ(聖甲虫)像があり、この周りをグルグル回ると良いことがある、というおまじないです。スカラベとは”フンコロガシを神格化したもの”です。

1周は願い事、3周は幸運、7周は結婚、9周は子宝、という事でカミさんは3回廻っておりました。

これは古代の宗教儀式とは何の関係もなく、近代以降の観光文化の中で広まった”おまじない”です。
スカラベ像自体は今から3500年前に作られたそうです。
ビデオ:おまじないの周回

カルナック神殿(6)
この付近には制服を着た警備員のような男が座っており、「写真を撮りましょう!」という事で撮ってもらうと、チップを要求します。
制服を着ているので公的な人間で、黒・紺の制服は観光警察、ベージュの制服は管理スタッフです。

ボクらが撮ってもらったのはベージュの制服を着ており、チップは1ドルを渡しておきました。
エジプトでは1ドル札を何枚かポケットに入れておくと便利というか、慌てなくても済みます。
ビデオ:観光スタッフに撮ってもらいました

アパートのエアコン
エジプトの勤労者の平均給与は200ドル(約3万円)ですが、上位10〜15%は全く別世界です。これはメキシコとかフィリピンとかと同じで途上国・中進国の特徴です。

下の方に85%の塊があって、そこから全く離れたところに15%の塊がある、ですからこれらを一括で扱って平均給与を計算する、というのは何も意味を表しません
同様の二極化は、日本も段々そうなりつつあります。

エジプトの一般家庭のエアコンの普及率は15%程度で、このアパートはその中に含まれる、という事です。

ルクソール博物館(1)
この博物館はカイロの”エジプト考古学博物館”のように膨大な展示で圧倒するのではなく、選び抜かれた”価値のあるもの”だけを展示している、という説明です。

歴史の流れに沿って先史時代⇒中王国⇒新王国⇒末期王国、、、と展示されているのですがここもズバリ、事前にエジプトの基本的な歴史の知識がないと、展示物を見てもなかなか理解は難しいと思います。

博物館に入ると”トトメス3世”の像が出迎えてくれます。
この人物は”エジプト史上もっとも優れた軍事指導者”と称される新王国第18王朝のファラオで、紀元前1400年前に在位した人、となってます。

軍事・行政・宗教を統合し、エジプトを“中央集権型の帝国”に作り変えた王で、後生の研究者は”エジプトのナポレオン”という別名を付けているそうです。
圧倒的な軍事指揮能力、組織と兵站の天才、、、という事で博物館の入り口に屹立するにふさわしい人物、、、。

これらの事は後で調べて知ったことで、博物館では“The Builder of the Egyptian Empire”という一文がボクの頭には残っています。

ルクソール博物館(2)
左がソベク神(座像)、右がアメンホテプ3世(立像)、ファラオは神の承認(委託と言うべきか)、加護を得て国と人民を統治する、という事です。
従ってファラオは神と並んで立っています

ガイドのナグラーさんは短い時間の中で説明をしたわけですが、その場ではボクはあまり理解できなかったので、これも後で調べた、という次第です。

王の顔のスフィンクス、顔は王の知性、身体は王の力を表す、これはナグラーサンの説明で理解できました。

ルクソール博物館(3)
ここの博物館にはルクソール神殿、カルナック神殿から出土したレリーフが展示されています。

神、または王を描いた展示レリーフは、見事な色彩が残っており、3000年以上昔のものとは思えません。

全ての絵の細部には意味があり、例えば鳥も隼(ファルコン)は神そのものを表し、アヒルは後継者(息子)、雁は大地の神で、これらが”文字”として使われ、更に意味を持ちます。
つまりこれらの絵は漢字と同じく”表意文字”的なものと言えます。

ルクソール博物館(4)
3600年ほど前の高位人物の埋葬用石棺です。蓋には故人の姿が彫刻されています。

故人はミイラにされて内棺に入れ、そしてこの石棺に入れる、という方法です。

エジプトでは身体を保存するというのが非常に重要で、体が残らないと魂が戻れない、という思想だったとあります。

ボクはここに来て、何でエジプト人はミイラにこだわるのか、やっと理解ができました。

ルクソール博物館(5)
古代エジプトの来世観では、死者は冥界で農作業や労働を命じられる、と考えられていました。そこで死者に代わって働いてくれる”召使い像”を一緒に埋葬したのです。
”ウシャブティー”と言います。

身分によって、埋葬するウシャブティーの数が違い、高官・富裕層は数が多かった、、、理解です。

日本では天皇家の墓(古墳)に埴輪が埋葬されますが、埴輪は死者の世界を再現するためで、死者の代わりに労働をするものではありません。

ルクソール博物館(6)
これらは先の石棺の中に入れる木棺です。何と多重になっていました。
つまりマトリョーシカ構造で、ミイラ⇒内棺⇒中棺⇒外棺、ここまで木製、そして石棺となるわけです。

しかし内棺はえらく狭い、、、という事であとで調べたらミイラにすると身長はあまり縮まないが、体の幅と厚みはかなり小さくなる、とありました。

なので、ぴったり入るように作るとこうなるそうです。
ミイラの作り方はここでは省略します。

トゥルシークル
エジプトではよく見かけ、人も荷物も運んでいました。
CMGというのは中国メーカーで、大体200CCエンジン、このように3輪にして途上国に売っています。

細部までは観察しませんでしたが、日本のバイクは60年前でもこういう造りはしない、という構造でした。

フィリピンでも似たようなのがあり、”トライシクル”と言ってサイドカータイプで、人を乗せるのが目的でした。
エジプトのように3輪タイプもあると聞いてはいたのですが、ボクは見たことがありませんでした。

中華レストラン
こういうツアーではどこかで1回、昼食または夕食に中華レストランに行くようになっているのが殆どです。
理由は2つ、現地料理だけで1週間〜10日間はやはり飽きてくる、中華料理は圧倒的に安い、です。

ボクは世界中で中華料理レストランへ行きましたが、各国とも”安い・お手頃レストラン”の代表格です。

日本には”高級中華レストラン”があるわけですが、ナゼ日本だけ高級中華が多いのか、調べた事があります。
納得の理由でしたね。

王家の谷(1)
目が覚めたらバスの中には誰もいません。エーッ、みんなどこに行ったの!
バスは王家の谷に到着、皆さんはバスから降りたのですが、後ろの席にいたボクは居眠りをしており、バスに取り残されていたのです。

カミさんが途中でボクがいないことに気が付き、ガイドのナグラーさんが運転手に電話を掛けたようです。
ボクは運転手に連れられて、迎えに着ていたバスに同乗していたガードマン(実はガードマンではなかった)に引き渡され、無事みんなと合流できた、という次第でした。

王家の谷(2)
イヤ〜、こんな失敗は初めて。目的地に到着時は、メンバーが揃っているか添乗員は確認しないし、カミさんも500mくらい歩いてから気が付いた、、、という事でした。

皆さんのところまでは、土産物屋の曲がりくねった道を通って行かねばならず、ボクひとりで行き着くのは絶対ムリ。

添乗員もガイドのナグラーサンもガードマンに連れられたボクを見てニッコリ、15分以上待たされた皆さんも非難めいた目つきもなく、待っていてくれました。
運転手とガードマンには2ドルのチップでした。

王家の谷(3)
王家の谷とは3500年〜3000年前に、ファラオとその家族・高位貴族を地下に埋葬するために造られた“巨大な地下宮殿群”です。
地下宮殿群?と聞いてあれ?墓でしょ?となった訳ですが、質問をする時間もなく、中に入ってわかったのは、やはり”宮殿”でした。

つまり物理的には”墓”であるが、思想的には”死後の宮殿”、つまり”王が死後に住む場所”という事です。これで実際に見た事と、その考え方が理解できた、という次第でした。
ビデオ:死後宮殿(墓)の入り口付近

王家の谷(4):ツタンカーメンのミイラ−1
ではなぜ、こんなところに王の墓を作ったかというと、4000年前のようなピラミッドでは目立って、すぐに盗掘にあったのでこれを防ぐために谷の地下に作ったぼです。

では盗掘は防げたか?答えは「ノー」で、64基以上の墓のうち盗掘を免れたのはだた1基、これがかの有名な”ツタンカーメン”の墓です。
なぜツタンカーメンの墓は荒らされなかったのか?
ツタンカーメンは権威も弱く、墓も小さく、おまけにラムセス6世の墓の建設で入り口が埋まっていた、、、。
盗賊に見つからなかった、という事らしいです。

王家の谷(4):ツタンカーメンのミイラ−2
全てが盗掘に遭った中で完璧な形で残っていたKV62(ツタンカーメンの墓)、ミイラが展示されています。

未盗掘なので、財宝が全て残っていた、黄金のマスク(これが一番有名)も残っていました。

19才で亡くなった王の墓は質素であった、とありましたがそれでもこの豪華さ、他の大王は一体、、、となります。

大王であったラムセス2世の墓(KV7)は全部盗掘され、財宝は何も見つかっていません。

王家の谷(5):KV6.ラムセス9世
王家の谷では2025年12月現在15の墓が公開対象ですが、メンテナンスなどで常時公開は10程度だそうです。

それぞれの墓は特徴があり、どれを見学するのか、時間の制約との戦いです。
KV6.ラムセス9世の墓は墓に通じる長い通路横の壁画に特徴がある、という事で入ってみました。通路は幅も広く、手すりもあるので容易に中に入れます。

黄土色の背景で掘られているのは神々の整列だそうで、保存状態も大変いいと感じました。

王家の谷(6):KV9.ラムセス5世・6世
壁画の密度が高く、彩色が見事です。3200年前に作られたとは思えない見事さで、この色には圧倒されます。
多くの墓はナイル川の洪水、落石、盗掘により損傷が激しいのですが、KV9は入り口が高く水害がほぼゼロ、という幸運に恵まれ、盗掘には遭っているものの、損傷が少ない、という研究結果です。

古代エジプトの顔料は非常に安定しており、太陽に当たらず、水も浴びていないと、こういう色が残るんですね。
最初は色は復元かと思いましたが、違いました。
ビデオ:KV9の中の様子

王家の谷(7):KV17.セティ1世
王家の谷で最も美しく、深く、複雑で、芸術的な墓、という説明です。”王家の谷の最高傑作”いう構造です。
エジプトの墓は床=大地、壁=冥界、天井=天空、という“宇宙の三層構造”で設計されており、天井が青いのは王が死後に帰るべき場所=天空を示すため、とあります。

ここの入場は別料金で、オプショナルツアーとして140ドル(約2万円)でした。見学は約30分ほどで終えましたが、お金には代え難い、価値があったと思います。
ビデオ:KV17の中の様子(1)
ビデオ:KV17の中の様子(2)

王家の谷(8)
ここは4月には35℃くらいまで上がり、5月〜9月には40℃〜45℃の危険な状態になるそうです。
こうなると風が熱風になり、日陰が役に立たない、乾燥で汗が即乾き脱水に気が付かない状態になります。

ボクは昔アメリカで、40℃ちょっとの気温で、エアコンのない車を運転したことがあります。この時は窓を開けると熱風が入ってくるので、閉めた方が涼しい(と言うか、我慢できる)という経験があります。
夏の間の王家の谷の見学は、朝6時から9時頃までで、それ以降は危険、という事のようです。

王家の谷(9):KV8.メルエンプタハの墓(1)
メルエンプタハとはラムセス2世の第13子です。ここの特徴は、 入口から玄室までの距離が長い事で、その左右には見事な彫刻が彫られています。

規模としては王家の谷の中では上位に入るそうですが、未完で盗掘と後世の侵入で損傷が激しい墓です。壁画も下線などが残っています。

13子なのに、こんな大きな墓があるのはナゼか?
実は12子までは戦死、病死、老衰で亡くなっており、メルエンプタハが実質的な王位継承者だった、からです。

王家の谷(10):KV8.メルエンプタハの墓(2)
ラムセス2世は66年間の王位を誇り、子どもは全部で100人以上いました。
子の方が先に”老衰”で亡くなった、、、納得です。

メルエンプタハは王太子、つまりラムセス2世が王ではあるが、高齢でいわゆる(副)王として、王の権限の一部を委任されていた、という歴史です。

未完ではありますが”未完=粗雑”ではなく、立派な壁画が残されていました。
但し盗掘によって、かなり傷・破損がありました。

王家の谷(11):KV11.ラムセス3世(1)
レジスターの密度が高く、蛇がたくさん描かれています。
これも他とは違う特徴があります。

ラムセス3世とはエジプト最盛期の王であるラムセス2世とは関係のない、簡単に言えばクーデターによって王権を奪取した人で、”ラムセス2世の名声”にあやかって”ラムセス3世”と名乗った王です。

上のラムセス2世の13子はラムセス2世の後に王になったが高齢あったので、在位は短期、その後の王位争いで内乱状態になった、という歴史です。

王家の谷(11):KV11.ラムセス3世(2)
この辺の歴史を理解するにはツアー中の説明などからではとてもじゃありませんが無理で、帰国してから調べてやっと整理ができた次第です。

壁画などの一部は破損が激しく、これは盗掘者が力任せの破壊をやった結果である、となっています。
しかしそれでも作られた当時を忍ぶには十分な形で残っています。
盗掘は警備兵、神官、墓職人、役人など内部の者がやったそうです。
ビデオ:KV11の中の様子

石材加工の実演
王家の谷の見学を終え、石材加工の実演をやっている土産物屋に案内されました。
使っている石材は”玄武岩”で、ルクソール周辺では玄武岩を使った彫り物の土産物屋が一杯あります。

玄武岩は基本的に非常に硬く、加工しにくい石材ですがエジプトの玄武岩は比較的柔らかい層があり、これを使って様々な彫刻などを行い、土産物で売ってます。

職人達は”ノミ・たがね・研磨機”などで一生懸命に加工をしていました。かなりの力仕事でもある、と言えます。

お土産を買いました
店の中に入ると大量の玄武岩を使った土産物があったので、ボクも一個”ネフェルティティ”の像を買いました。
値札は50ドル。

「25でどうだ?」、「いや40!」、「オレは25って言ってるんだよ?」、「わかった、35でどうだ?」
結局30ドル(5000円弱)で落札できました。

今回のエジプト土産は香水入れと、それに入れたサハラ砂漠の砂、ピラミッド近くで拾った花崗岩の石片、それにこの像の3つです。

ハトシェプスト女王の葬祭殿(1)
これはエジプト唯一の女性ファラオ、ハトシェプスト女王の葬祭殿です。
ルクソール最後の見学スポットです。

ボクはエジプトにクレオパトラ以外に女王がいたとは知りませんでした。
この建物は自らの神性と王権を示すために建てた巨大な神殿で、垢抜けた近代的な感じがします。

この時代の王は男の格好しなければならず、ハトシェプストは男の服を着て、付け髭をつけていたそうです。

ハトシェプスト女王の葬祭殿(2)
ハトシェプストはラムセス2世の200年ほど前の女王で、つまり今から3400年前、、、。
クレオパトラも女王でしたが、紀元前1世紀、つまりハトシェプストの1300年以上後の古代エジプト最後の時期で、ギリシャ文化時代。
よって男の格好をする必要がなかった、ということです。

ハトシェプストは軍事よりも経済を重視、内政が安定し反乱なども殆どなかった、という時代を築いたそうです。
そういう人が建てた葬祭殿、これはエジプト建築史最高のもの、だそうです。

ハトシェプスト女王の葬祭殿(3)
葬祭殿の階段の上から、歩いてきたところを見ると実に広々とした広場になっています。
この広場というか通路の左右にはスフィンクスの台座のみが並んでおり、体はライオン、顔はハトシェプスト、つまり女性的な顔だったそうです。

日本は”女性の神(天照大神)”を最高神とし、その後女性天皇は8人10代いるそうです。日本は女性統治が宗教的にも政治的にも許容された文化である、と言えると思います。田嶋陽子女史はご存じないようですが、、、。
ビデオ:葬祭殿から来た方角を見る

メムノンの巨像
ハトシェプストの葬祭殿近くには、かつてアメンホテプ3世の巨大な葬祭殿があり、その入り口にあったアメンホテプ3世の像が残っています。
これはハトシェプストの100年くらいあとの王です。

葬祭殿が跡形もないのは、ナイル川の氾濫、建材の再利用、風化などによる、との事です。

建材の再利用で葬祭殿はなくなった、、、というのは何となくわかるような気がします。

ガードマン?
ルクソールの観光中、目つきの鋭い精悍な男性がバスに乗り、我々の行き先の全てに同行してました。
彼はガードマンではなく、警察官または内務省の護衛要員です。上着の下にはサブマシンガン(MP5K?)を肩から吊しており、銃身がチラチラ見えました。

ボクがバスで寝過ごしたときは迎えに来てくれて、ニッコリ。笑うと可愛い顔をしてました。ガイドのナグラーさんがバスを降りて買い物をするときも、写真のように周囲を警戒してました。観光産業は国家の生命線、観光客を守ることは、経済安全保障そのもの、という事ですね。

ルクソールから回路へ
中身の非常に濃い(濃すぎる!)ルクソールの観光を終え、ルクソール空港へ。大変な混雑です。

一応エジプト観光は10月から4月までがいいとされていますが12月は一番のハイシーズンです。
日中は20℃〜25℃、乾燥しており、快適です。夏になると40℃を超えますので、観光は苦行になります、というか長時間歩けないそうです。

従って12月はホテル代、ナイル川クルーズ料金、飛行機代などすべてが跳ね上がるそうです。

カイロのホテルに着きました
ホテルは”ヒルトンカイログランドホテル”、ナイル川の中州の中に建つ、文句なしのホテルです。
この辺でナイル川は2本にわかれ、それぞれの川幅は300m〜500mくらいです。

さあ、食事も終わったので、ビールでも飲もうかとフロント横のバーに行ったところ、「ビールはありません」、とバーテンが言う。
ホテルによって、ビールを提供できるバーが限られており、詳しく聞けばどこか(上層階とかプールサイド)で飲めるのでしょうが、面倒なので諦めました。

エジプト旅行も後半に入ると、 神殿を見るのも食傷気味になってきます。
しかしルクソールでの見学は非常に盛りだくさんで、本当はもう1日くらいあってもいいところだと思いました。

カイロのホテルではビールが飲めませんでしたが、ボクはこういう事態に備えてスキットルにウイスキーを入れて持ってきたのですが、それまでに全部飲んでしまい、空っぽ。
液体燃料をたしなむ方でエジプト旅行をする時は、十分な燃料を持って行った方が良いと思います。
エジプト旅行、残りの訪問先はアレキサンドリアとカイロ市内観光です。