日本人と英語−2(2022−09ー19)
ボクはほぼ毎日マンション前のスーパーに買い物に行く。10階からはエレベーターを使わないで階段を使う。
自宅との往復の歩数は1200歩程度なので運動量は(雀ではなく)蚊の涙であるが、"better than nothing."、つまり「何もしないよりまし」だね。

このスーパーの中には美容院とか洗濯屋、それに英語スクールのNOVAがある。ここは小学校での英語が必修化になる2020年の1年程前にでき、中学生以下幼児までの英語学習を対象にしているようだ。

ボクもかつて英会話スクールに通った事がある。アメリカ転勤が決まると総務から「駐在予定者の英語研修に通って下さい。どこか希望の英会話スクールなどありますか?」、と連絡があった。そこでボクは通勤乗降駅横にあった"ジオス"という英会話スクールに通った。

形式はマン・ツー・マン・レッスンで確か30時間を受けた。先生はジャスティニアンという30才ちょっとのカナダ人男性で、一生懸命にやってくれた。
効果は"better than nothing."、、、ではなかった、と思う。

先生にハッパを掛けられ、ボクは今度はこの単語・イディオムを使ってやろう、とか通勤電車の中で隣に立っている高校生並に、一生懸命に覚えたりしたね。

カミさんと下の高1の娘は1年遅れてアメリカに来たが、2人も同じような英語研修を受けた。アメリカで娘はいきなり現地高1年生のクラスに編入、1年間くらいは顔付きが変わるくらいに苦労をした。

本社には海外駐在社員に同行したり、帰国した子女をサポートする教育相談室があり、嘱託で海外経験のある退職教師がいた。

「アメリカに来た娘さんに聞いてはいけない事、それは『今日学校でどうだった?』です。これを言われた子どもは、すごく辛い思いをします。何故かって?それは学校でうまくいっている訳がないからです。」。先生の言った事は今でも忘れない。ボクはこのアドバイスを守った。その娘も今は高校の英語教師。

英語で一番楽をしたのはカミさんではないか。英語で仕事するわけじゃなし、授業を受けるわけじゃなし、、、。
一度これを言ったら、スーパーのレジとか返品の窓口、その他の買い物、医者、薬局で苦労をしたと、反論された。
そうだね、みんな苦労したよね。

ボクはアメリカとフィリピンに17年間住み、英語で生活と仕事をして、それ以外に300日以上の海外出張をしたので"日本人と英語"について、その経験から意見を言いたい。先ず、スーパーの中にあるNOVAが開講に至った背景である、”小学生からの英語教育の本格スタート”について、ボクの意見である。

・ 英語教育は小学生からの必要は全くない。その前に日本語、とにかく日本語を勉強させる。
・ 日本人の弱点は英会話力ではなく、自分の考えを言葉に置換する能力が低いところにある。
・ 英語に時間を割けるならその時間を使ってディベート教育をした方がよい。

小学生のうちに付けるべき能力(習慣と言えるかも)は知識を吸収し、人の話を聞いて理解し、そして考えをまとめ言葉にする”基礎の基礎”ではないか。

これを母国語、つまり日本語でやる。英語をやる時間があったらこちらをやるべきである。この能力は全ての教科の基礎にもなる。

フィリピンでは小学校1年生から英語教育が始まり、3年生からは特定の教科以外は授業が英語になる。

なのでフィリピン人は田舎の年寄りを除きタクシーの運チャン、食堂のオバチャン、夜の街にいる白粉の香りのする女性も、全〜部英語ができる。

学校の授業は英語、では子ども達は休み時間も英語か?
違う。タガログ語(フィリピン語)だそうだ。家に帰って親兄弟、お爺ちゃんお婆ちゃんと話をするのも英語ではなく、タガログ語。

会社で日本人はボクひとりだったがボクが出る会議は英語、フィリピン人同士がヒソヒソ話すのはタガログ語、時々VP(副社長)に「シーッ」とか言われていたけど。

ボクはフィリピンで結構多くの人に「頭の中ではどっちで考えているのか、英語かタガログ語か?」聞いた。
殆どの人がタガログ語だった。

知識の吸収、考える、考えを言葉に置き換える、話す、書く、これはひとつの言葉で確立させられるべき能力である。
この能力を養う時期に2つの言葉で教育、生活をする彼らの頭の中は我々とは違う、ある種の混乱状態の中にいつもあるような気がする。

フィリピンで中等教育以上、或いは専門的な勉強をしようとしてもタガログ語の教科書、専門書はない。あるレベル以上の勉強には英語が必須になる。

ところが日本は日本語で全ての勉強ができる、恵まれた国である。明治になって多くの学者先生達が日本語にない(英語などの)言葉を全部日本語に直し、学問近代化の基礎を作ってくれた。
これらの先人達(多くは士族出身)は漢文の知識・素養の上に英語を習得、英語から日本語を作った。

恋愛、印象、人格、象徴、常識、社会、芸術、自由、人生観、背景、、、現在我々が普通に使うこれら無数の日本語は外国語語から作られ、明治以前にはなかった言葉だ。

英語を身に付けるには「本人が英語を学ぶ意欲を持たなければ上達しない」、つまり何かきっかけがあれば上達するが、そうでなければ99%上達は無理だ。
そのきっかけを
学校の勉強科目として与え、"勉強させる"事で身につくか? 答えはノー、だと思う。

言葉(会話)というのは、その言葉を使う環境にどっぷり浸からなければ身につかない。
早いうちから英語を聞き、耳を慣らせば上達すると言われるが、それは正しい。
耳を慣らす、口を慣らすには、
1週間に12時間とか15時間とかをやれば何とかなるかも知れないが、そんな事は無理だ。

先生1人に
生徒35人のクラスで、しかも実質的に1週間に45分とか70分の授業でそれができる、という人がいたら顔が見たい。小学校の英語授業は典型的な"better than nothing"ではないか。

英語は
中学や高校から始めても高いレベルに到達できる。こういう人は世の中にゴマンと存在し、現在世の中で英語で仕事なり生活をしている人はみんなこれだ。

それと英語環境に入ると半年から1年くらいで大きく英語力が上達する人がいる。
そういう人は性格、積極性、そして過去に読み書き中心であれ、英語をかなり一生懸命勉強をやった連中だった。

頭の中に染み込んでいた単語、イディオム、文法などが英語環境に置かれたことによってジワーッと蘇り、
実用英語に生まれ変わるのである。

発音は日本人らしい発音でも全く構わないと思う。自分の思いを素直に表せばわかってもらえる。

それとこれもボクの経験から。
仕事には読み書き能力が会話能力以上に重要な場合が多かった。日本は読み書き重視、会話軽視の教育をやってきたというが、日本人の読み書き能力もアジアの中で最低レベルである。
問題は学校教育にあるのか?違う。
使う機会がないから、或いは使わないから上達しないだけの話である。

ところで日本に来る
外国人技能実習生には日本語を要求、日本で介護士になろうとする人には日本語で試験をやり、一方では小学校から英語を教えている。何かおかしくないか?せめて英語にしたらどうか。

買い物ついでにNOVAの英語スクールの案内パンフレットを今日もらってきた。小学生のうちに身に付けておきたいことが3つある、と書いてあった。

1. まとまった量の英文を臆せず、読解する力
2. 題材に対して、
なぜそうなったのか考える力
3. 聞かれた事に対して、
自分なりに考えをまとめて話す力

1を除く2.3.は英語の勉強を通じて身につけるべきものではない。ボクの経験では日本人に不足しているのが2.3.であると強く感じる。
会議でも発言できない人がいる。これは英語の力不足の問題の前に、2と3が弱い場合が多い。
その次に中学生で求められる力が書かれていた。

1. 聞く: まとまった英文を聞いて理解する力、自分の考えを整理する力、表現力
2. 話す: 考えを
整理する力、聞いて整理する力、瞬時に応答していくスピーキング力
3. 読む: 長文の
読解力、考えを整理する力、自分の言葉を適切に表現する力
4. 書く: テーマを
理解する力、考えを整理する力、まとまった量の英文を書く力
(説明)
英語での思考力や表現力は詰め込み型の暗記学習では覚える事ができません。ネイティブのこどもが英語を身に付けるように英語で考え、英語で表現する時間をいかに多く確保するかが大切です。
そしてNOVAは子どもに圧倒的なの「子ども自身が考える機会」、「表現できる機会を」確保して与えます。

パンフレットに書かれている内容は、涙が出るくらいに100%正しい。
NOVAは英語スクールなのでこれら1から4を英語学習を前提でやる、と言っている。どこまでできるのかは別として。
しかしこれらは母国語で身に付ける基本能力であって、学校でやるべき事ではないか。

英語学習は結局は今までの中学1年生からでいいと思う。
母国語を使う能力が未熟な中で、しかも非常に限定された時間目的意識も曖昧な児童・生徒に英語を教えても典型的な"better than nothing"、いや"waste of time"、つまり時間の無駄である。やるべき事は他にある。

子どもを英語スクールに通わせる親は一様に、「こどもには英語で苦労させたくない。」と言う。
ではその言うところの”苦労”とは一体「何で、いつ」苦労をしたのか。仕事上の何かなのか、一瞬の海外旅行の時なのか、会話なのか読み書きなのか、それとも単純に学校の英語の成績が他の科目に比べてイマイチだったのか。

NOVAには申し訳ないが、やっぱりスクールも"better than nothing"のような気がする、、、ゴメン。
ちなみに最近のボクの英語はラジオを聞く、雑誌・WEBサイトの記事を読む、が中心で量は現役時代の50分の1以下、書くと話すは殆どない。

「日本人と英語」は4年前にもトピックを書いたが、今回NOVAのパンフレットを見て感じた事があったので再度書いた。