ボクの年末の風景(2022−12−19)
師走になって急に気温が下がり始めた。早朝は0〜1℃で平均最低気温より2〜3℃低い。
新しいマンションに引っ越しをしたがリフォーム工事のやり直し、家具の一部の搬入などが終わっていないが何とか表面上は片付いた。
しかし職人の腕のバラツキの大きさには参った。口は回るが、腕は全くダメというのもいた。

それはともかく部屋が少し広くなったので、今まで大き過ぎて飾るスペースに苦労していた人形を飾ってみた。身長が45cm近くある、青い服のサンタである。

現在世界が注目するウクライナではサンタの服は赤ではなく青だ、というのを昨日のニュースでやっていたので、これをコメントに入れて何名かの知人にLINEで写真を送った。

すると博識でボクも一目置いている國分聡さんから「サンタの服が赤いのを世界中に広めたのはアメリカのコカコーラ社。」、という返事が返ってきた。

「サンタの服はかつては青、紫、緑とか様々な色があって、1930年代にコカコーラ社がサンタに赤服を着せてクリスマス・キャンペーンに使って赤が広まった。」、赤はコカコーラ社のコーポ−レート・カラーだそうだ。

ボクの部屋に飾った青服のサンタはアメリカにいた時に、ミシガンの人形屋に行って買ったものである。

ボクの住んでいたオハイオ・コロンバスから3時間(300km)、デトロイトの南の小さな町に人形を作っている工房があった。サンタがいろいろな色の服を着ているのが興味深く、青いのをたまたま買ったと記憶する。

この人形工房にはその後何度か行ってお爺さん、お婆さんの大きな人形も買った。
サンタの赤服の件を娘に話したら、「そんなのみんな知ってるわよ。常識よ。」、と言われてしまった。
な〜んだ、そうか〜、ボクだけが知らなかったのね。

会社の後輩のひとりにYさんという人がいる。現在66才で完全リタイアしている。彼はイギリスに10年の駐在経験があり東はロシア、西はポルトガル、南はギリシャ、北はアイスランドまでヨーロッパは隅々まで出張で訪れたそうだ。

彼は英語は勿論、それ以上にドイツ語が堪能、帰国後に独検(ドイツ語検定)準1級に合格している。そのYさん、この12月に独検1級を受験した、と連絡があった。1級は多分英語と同じで、ネイティブでも合格できない人がいる試験である。
彼は2回目の受験で、受験者数は毎年全国で150〜200名、合格率は15%程度である。

ボクは苦労してまぐれで英検準1級をもらったが、1級の壁はあまりにも高く、チャレンジする意欲さえ起きないレベルだった。独検の差も同じだと思う。
Yさんにはスゴいと心から思った。

どんな人が1級を受験しているのか、彼の話では、「よくはわからないが学者・研究者のような感じの人が多い。」、という事だった。
年令は40代〜50代、彼より年上と思われる人もいたそうだ。

Yさんはドイツ前首相メルケルの1時間の演説をほぼ暗記したりできるので、記憶力もずば抜けている。
ドイツの歴史、政治、軍事、文化に舌を巻くほど精通している。

外国語に関しては、ボクの尊敬するTさんは4カ国語、同級生のT君も英語とドイツ語が堪能で、これらの人達は会って話をしても"世間話"はあまりしない、という共通の特徴がある。日本のマスコミによる国際情勢などの解説はニュートラルではない、という見解も共通している。

こういう人達にとって日本(語)の情報ソースは"one of them"というのを非常に強く感じる。
コロナで最近は直接会う機会が少ないが、こういう人達と年末年始に一献傾けるのもボクの楽しみである。

同じく会社の後輩であるYNさん、彼は60才前に子会社に転籍をし63才で退職、その後別系列の会社に入り、現在は中国の天津にある400人規模の工場の副総経理である。
彼はボクのいた会社では珍しく、会社から中国に語学留学をしており、中国語に堪能である。

その彼が2日前に一時帰国をした。
帰国直後にコロナの抗原キットを買って検査をやったら見事に陽性、県の指示により1週間の自宅隔離になった、という連絡が入った。

彼からの連絡によると天津でも2週間ほど前からコロナに関しての方針が変わり、PCR検査を中止して行動制限を緩やかにしたら、あっという間に市中に感染が拡大してしまったとの事。

会社では6、7割の人が、感染だ発熱だと大変な事になっていたと言う。

これらは日本に伝わるニュースと同じだが、YNさんはもっと別な現地の情報を持っているはず、新年会をやる予定なのでその時にじっくりと話を聞くつもりだ。

中国政府は自国の感染実態の全体把握ができていないのは確かである。

これに加え、中国ワクチンの効き目が非常に低い上に接種率も実際はうんと低いこと、地方政府が行動規制緩和で起きた混乱を統制できず野放しになっていること、などをABCが伝えているが、日本のメディアの扱いは軽い。

日本政府は来年からは、中国からの観光客を呼び込んで日本の景気を刺激するとか脳天気な事を言っているが、正気の沙汰ではない。
これでボクの知人など周りの人でコロナ感染が明らかになった人は3人である。何だか少ないようでもあるが、これから増えるような気もする。

引っ越しに伴って様々なモノの整理をやっている中、亡くなった母親が大切に保管していたかなりの量の書類が出てきた。
曾祖父の卒業証書(明治初期)から父親の各種辞令まで様々な書類で、その中からボクが中学2年生の時に描いた絵が出てきた。

絵は当時近所の宣教師からもらったナショナル・ジオグラフィックのカナディアンロッキーの風景写真を模写した水彩画である。ナショナル・ジオグラフィックの思い出は"2022−10−30"の日記に書いたが、その時に見た写真をボクは模写していたのだった。

ボクは小さい頃から絵を見たり描いたりするのが好きで、特に中学生になってからはそれが高じて、画集などを誕生日のプレゼントに買ってもらったりするようになった。

そんな時見たカナディアンロッキーの風景写真、こういう素晴らしい所で写生できたらどんなにいいだろうと思い、その中の2枚について模写をしたのであった。

水彩絵の具を使って油絵タッチに描いた絵であるが、これを見つけた瞬間ボクは58年前にワープした。

描いたのは東京オリンピックが終わった直後の冬休みだったと思うが、ボクは夜中の1時、2時までかけて1枚を2〜3日くらいで描いたと記憶する。

その後ノートの隅に、ちょっとイラストを描いたりする以外は絵を描くことはなくなったが、絵を見る趣味はずっと続いた。NYメトロポリタン美術館、シカゴ美術館、ボストン美術館、DCスミソニアンなどは何度も行った。

こういうところに家族と行くと、カミさん娘達は退屈しているのがよくわかるのだが、ボクはお構いなしに時間のある限り、館内を舐めるように見て回った

そして仕事を辞めたボクは今度は水彩画ではなく鉛筆画、それにイラスト描きを始めた。
昔少し興味を持った事を再び始める、、、これもなかなかいいものだと思う。。