スペインの旅(1):2024/06/25〜07/04 |
私はヨーロッパは出張・個人旅行で17カ国を訪れていますが、スペインには行った事がなく、以前から一度行ってみたいと思っていました。 そこで2020年6月にスペイン旅行を計画していたのですが、3月頃からコロナが世界的に流行を始め、やむなくキャンセル。結局再度計画を立て直して今回の訪問まで4年を待つことになってしまいました。 ヨーロッパの中ではフランス・イタリア・スペイン・ポルトガルは歴史、言語からラテン系、ドイツ以北はゲルマン系でラテン系とは違う、歴史・文化があります。 私はそれまでゲルマン系文化圏の国とは仕事でも、旅行でも割と関係があったのですが、ラテン系の国というのは身近に接する機会がありませんでした。 今回極めて短期間の旅行ではありましたが、やっと念願のスペインを訪れる事ができたので、その様子のハイライトをまとめてみました。 |
モンテフリオ(3):3日目 | ||
村の最高地点には城跡があり、これは13世紀に建てられたそうです。 街全体は確かに美しく、中世の佇まいを残しています。とにかく坂道が多く、履き物には要注意です。 標高900m、涼しく湿気もないので、随分歩きましたが汗だくになる事はありませんでした。 9時前なのでBAR(カフェ)も営業開始前で、開店を待っているのか、老人達があちこちにたむろしていました。 |
コルドバ/メスキータ(3):3日目 | ||
メスキータの北側にはユダヤ人街が残っています。迷路のように入り組んだ一角で、ここも通って行きました。 ユダヤ人はイスラム教徒の支配下にあった時代(8世紀〜13世紀)に多くのユダヤ人がここに住み、商業・学問・医療などの分野で活躍したそうです。 その後、スペインはイスラム教徒からキリスト教徒の支配に変わり、1492年にキリスト教徒である王がスペイン全土からユダヤ人を追放する令を出し、街のみが残ったという事です。 ユダヤ人はスペイン以外に移り住むか、キリスト教に改宗せよ、という事だったらしいのですが、改宗しても依然として差別は残ったそうです。 スペインからのユダヤ人の追放は、彼らは商業・医学・金融・哲学など重要な部分を握っていたので、スペインからの追放はこれらを失う事を意味した、と説明がありました。 つまり中世スペインではイスラムとユダヤ人(今のイスラエルと言うべきか)は融合していた、、、こういう事なんですね。 これは私は認識していない事でした。 |
コルドバ/メスキータ(7):3日目 | ||
キリスト教の本堂、もとい、礼拝堂です。ここはイスラム時代も、礼拝空間の中心であった場所です。 これらのデザインもイスラム教のモスクを流用した関係上、周りとバランスをとるために他の祭壇と違うそうですが、イスラム教徒でもキリスト教徒でもない異教徒の私には、違いがよくわかりませんでした。 ただアーチ状のデザインがやたらと多いような気がしないでもありませんが。 |
アルハンブラ宮殿(8):4日目 | ||
宮殿からはグラナダ最古の街並みが残る、”アルバイシン”が見えます。 ここは11世紀に作られた街で、敵の侵入を防ぐ城郭都市なので、道は迷路のようになっているそうです。 15世紀まではイスラム教徒が住み、今はユネスコの世界遺産に指定されており、観光客に人気の街だそうです。 実に美しい街に見えます。 アルバイシンの丘から逆にアルハンブラ宮殿を見てみたいですね。 |
アルハンブラ宮殿(9):4日目 | ||
ここはアルハンブラの城外にある”ヘネラリフェ”という夏の別荘で”太陽の丘”というところにあります。 ナスル宮殿からはかなり離れており、上り坂でもあったので、かなりの汗をかきました。 太陽の丘には幾つものこのような別荘があり、現存するのはこの一つだけです。 ここは1931年に補修が開始され、第二次大戦を挟んで1951年に今の姿になったそうです。 |
本日の夕食:4日目 | ||
アルハンブラの宮殿の見学を終え、バレンシアに向けて500kmのバスの旅。 私は風景を眺めたり、行き交う車の中の日本車を数えたり、決して飽きる事はありませんでした。 ホテルについて早速食事。 この日も味はともかく、量はスゴかった。スープ、サラダ、牛肉の煮込み、全部直径30cm近くの皿にドーン! デザートもスゴかった。 私は半分くらい食べてギブアップでした。 |
バレンシア市内散策(1):5日目 | ||
8時にホテルをチェックアウト、AMはバレンシア市内観光をやって、その後高速列車でバルセロナに向かいます。 話は変わります。 かなり前にあるアメリカ人に、「日本人の観光客は100m先から簡単にわかるよ」、と言われた事があります。 理由は、ご婦人方の10人中9人が帽子を被っているからだそうです。 それを言われてから私は気になって観察するのですが、今回も全員のご婦人が同じような帽子を深く被っていました。 |
バレンシア市内散策(6):5日目 | ||
バージン広場に面して”バレンシア大聖堂”があり、中に入る事ができました。 なかなか華麗な装飾で、土曜日の朝でしたが何人かの信者が熱心にお祈りをしていました。 バレンシア大聖堂は13世紀から15世紀の間に建てられ、天井にはイタリア人画家によって画かれた見事なフレスコ画がありました。 このほんの近くにカテドラルがあるのですが、ここは入る事ができませんでした。 |
バレンシア市内散策(8):5日目 | ||
先の広場から5分程歩いたところに”バレンシア中央市場”があり、自由解散になりました。 建物は1914年に建築が始まり1928年に完成、このきれいな建築様式は”近代主義建築”というそうです。 広さは8000uで、ヨーロッパ最大の市場と案内には書かれていますが、私はハンガリー・ブダペストの中央市場に行った事がありますが、そちらの方が広い感じで、実際に数字上でも10000uです。 ただ建物の外観とと中の美しさはバレンシアに軍配があがるのは間違いありません。 |
バレンシア市内散策(10):5日目 | ||
市場オープンは月曜〜土曜日の07:30〜14:00で、日曜はやっていません。 市場の中をブラブラ歩いて物価を見ると果物は安い感じで、野菜は日本と同じくらいの感じでした。 スペインの消費税は21%で食品関係は10%、一部はそれ以下、所得税は最低で19%、各種控除はあるものの、日本とは比較にならない高い税率です。 収入は円換算では日本と同等〜3/4くらい?。 |
バレンシア市内散策(11):5日目 | ||
スペイン人は魚介類をドイツ、イギリス人などより多く食べると言う事で、魚売り場にも行ってみました。 エビはやはり人気でタコもイカもありました。 タコは茹でてオリーブオイルとパプリカで味付けして食べたり、生でオリーブオイル・レモン・塩でカルパッチョで食べるのが人気だそうです。 いずれもワインがグイグイ進みそうな、私に言わせると”ワインのつまみ”、ですね。 |
バレンシア市内散策(13):5日目 | ||
市場内のBARです。 喉が渇いたのでビールでも飲もうかな〜と、カウンターの後ろから見ていたら「並ぶのはあっちだよ」と、横から来た客のひとりが教えてくれました。 見ると、カウンター右手の奥で数人が列を作っており、その客も列の後ろに並びに行きました。 下関・唐戸の魚市場に行った時、2階の店で寿司をつまみながら一杯やったのを思い出したりしていました。 |
バレンシアからバルセロナ(2):5日目 | ||
駅のホームには発車10分くらい前にしか入れないのも世界共通で、日本のようにホームが待合室と兼用(?)にはなっていません。 時間になるとホームに入るゲートが開いてホームに行き乗り込みます。また各国とも空港のようなX線による手荷物検査があるのが普通です。 乗った高速鉄道は”ユーロメッド”と呼ばれるもので、2等車は日本の新幹線の普通車と同じと思えばいいですが、各部の手入れは行き届いていませんでした。 |
日本出発から5日目の半分までのスペインの旅の様子です。 スペインは日本の面積の1.3倍あり、今回の旅も移動距離は全部で2400km以上ありました。 高速道路は他のヨーロッパ諸国と同じで、乗用車は140km/h前後、バスでも120km/hくらいのスピードでガンガン走ります。 またバスの中で飲み物はOKですが、何かを食べるのは禁止です。これも他の国と同じです。 バスの移動の間、私は行き交う車を見たり風景を眺めたり、これも重要な旅の一部だと思っています。 車はスペイン・メーカーもありますが確か既にドイツのフォルクスワーゲン・グループに入ったと記憶しています。走っている車を見るとフランス車、ドイツ車が圧倒的に多く日本車、アメリカ車は多くはありません。 街を出ると左右に広がるのは一面のオリーブ畑。オリーブ、オリーブ、オリーブです。 スペイン人の主食はオリーブか?と言いたくなるくらいです。 たまに葡萄畑が目に入りますが、道路沿いから離れたところには、もったもっとたくさんあるのでしょう。 旅は前半はまあ順調でしたが、後半はいろいろありました。それらは”スペインの旅(2)”以降に書きます。 |